民間企業や公的機関における不正・不祥事のニュースは絶えることがありません。それらは高度な知識・技能をもったプロフェッショナルたちによる意図的操作が原因ですが、このことはそもそも「プロフェッショナル」の原義である“社会に倫理を誓う”ことに反しています。
彼は多くの著書を残し、そのなかの一つで「誓い」と題された短文があります。これが世に言う『ヒポクラテスの宣誓』です。彼はそこで医師の戒律・倫理を明言します。
『ヒポクラテスの宣誓』は、冒頭、医神であるアポロン、アスクレピオスらに誓いを立てる文面からはじまり、医を志す際の師弟の誓い、そして医師として患者第一とする利他的で我欲を排する誓いをする内容です。
こうしたみずからが進んで利他の精神を誓い、みずからの能力を社会奉仕に使うことを喜びとする専門職業人こそが、本来の意味での「プロフェッショナル」なのです。その観点からすると、現在、どれほどのプロ自認者が厳密にプロと呼べるのでしょう。
◆精神のない専門人と心情のない享楽人
利益追求や利己主義は一方的に悪いことではありません。むしろそういう動機があってこそ現代の資本主義経済は回るようにできているし、さまざまな創造や革新も起こります。欲は善にも悪にもなりうえるものです。
マックス・ヴェーバーはいまから100年以上も前に、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)の末尾において、資本主義の興隆で跋扈し、うぬぼれるのは「精神のない専門人と心情のない享楽人」であると予見しています。
精神のない専門人が、プロフェッショナルとして多量になりすぎると、ビジネスは単なる「利益追求ゲーム」へと成り下がり、その果ては、「圧倒的な富を得る1%の勝者」と「十分な富を得られない99%の敗者」をつくりだす社会にしてしまう危険性をはらんでいます。そこでは、経済が本来、“経世済民”として持っている「民を救う」という使命・目的が喪失されることになります。
欲望をエンジンとして回り続ける自由資本主義というシステムを、今後も持続可能にするためには、欲望の自制とそれを賢明に活かす英知が不可欠となります。そのとき、『ヒポクラテスの宣い』は新しい光をもって多くのプロフェッショナルたちに見直されるべきものであるといえます。
厳密な意味で「プロフェッショナル」は、胸中に誓いを抱いた徳を行じる職業人です。単に高度な知識・技術を持つ専門家なら「エキスパート」という呼称があります。
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2009.02.10
2015.01.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。