なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一のクリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス

2017.12.14

ライフ・ソーシャル

なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一のクリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/6434名(内閣府集計)。そのうち、9割は、15分以内の「即死」だった、とされた。しかし、15分だ。声を挙げ、助けを呼び、息絶えるには、あまりにも長い。そして、残りの1割、403名は、あの瓦礫の下で生殺しにされ、生きながら赤い炎で焼かれた。でも、あのとき、我々は、なにもできなかった。そして、逃げた。だから、もう繰り返したくないのだ。/

 そして、夜。救助もままならないまま、日が暮れた。昼間から寒かったのに、あの日の晩は快晴の満月。風はほとんどなかったが、夜とともに、恐ろしいほどに冷え込んだ。神戸の街は、街灯ひとつ無く、真っ暗だった。公園などに点々と火が焚かれ、その周りで人々は夜を明かした。今日のこと、明日のこと、薪となった廃材の炎を見つめながら、言葉も無く、思いに沈んだ。しかし、それは、その日一晩では終わらなかった。それから、一年以上も続いたのだ。


 筑紫は後に言っている「私の自己批判は、マスにとらわれるあまり、ミニへの視点を欠いたことである。しかも神戸の場合、ミニそのものが単なる少数ではなかったために、従来から内包していた視点の欠落が大きく露呈した」。だが、当時、マスコミ側の末席にいた者の感覚としては、この言い方は、肝心のところをごまかしていると思う。

 マス=東京、ミニ=地方。「マスにとらわれる」もなにも、それは、バブルで地方を乱開発し、途中で放り出したのと同じ、金満東京の傍若無人で独善的な選民意識そのものだった。じつは、東京のテレビ局や新聞社にも、かなり正確に細かい現地情報は入ってきていたのだ。いや、寸断された現地より、情報はむしろ多かったかもしれない。にもかかわらず、あのとき、自衛隊は殺人装置だ、山口組はヤクザだ、創価学会は反共反社だ、ダイエーはもうスポンサーにならない、ましてキャスターより目立つ個人ボランティアなど、みんな目障りなだけの偽善者だ、と、全学連残党の上の連中があえて握り潰し、画面から、紙面から、消し去ったんじゃないか。

 政治の初動は遅れ、救援はボランティアまかせ。おまけに、3月20日に東京で地下鉄サリン事件が起きると、神戸は、東京のマスコミの視界から、テレビからも、新聞からも、きれいに消えた。だから、あれから一年、復興は遅々として進まなかった。震災の被害だけでなく、地権などの問題から、神戸には、放置されたままの暗闇が多く残されたままだった。それでも、神戸は、95年の12月15日(プレは12日)の週末からクリスマスまで、わずか11日間のイベントとして「神戸ルミナリエ」を開いた。そこに現れた、あのまばゆさは、かつての神戸の輝きを思い出させた。それは電飾が作りだした一時の幻にすぎない。だが、その光は、打ちひしがれた人々に、勇気と希望を与えた。


 一方、鎮魂を騙り、半殺しの生木を担いで地元のルミナリエに背乗りするような今回の一件は、あの日の痛みを思い出させてしまった。倒れた大木によじ登ってポーズを取り、広告代理店とグルになって企画をゴリ押しし、演出された「感動」で、はしゃぎ騒ぐ姿は、傲慢で横柄なあの日の東京のマスコミそのものだ。鎮魂どころか、ようやく癒えた傷口にナイフを突き立て、心臓の中まで掻き回し、被災者を、そして、死者たちを冒涜する。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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