/高度経済成長とともに、日本のサラリーマンの理想像として、「武士道」を語るビジネス書や自己啓発書が大量に粗製乱造されるところとなった。そのほとんどすべてが、自分の恣意的な思想を、時代劇の通俗イメージに仮託したものか、せいぜい新渡戸稲造『武士道』邦訳ないし極論の山本常朝『葉隠』を敷衍したものであって、史料的にも、文献学的にも、およそ学術考証に耐えるものではない。/
新渡戸や内村が、武士道とキリスト教との親縁性を感じたのは、彼らの知っていた「武士道」とやらが、しょせんは「家」の無い下級武士や側用人のモラリティだったからではないのか。つまり、側用人武士道は、個人と個人で直接に主君と「契約」する。だが、これは武士としては、かなり特殊な奉公形態である。一般の武家は、「家」と「家」で主家に対し奉公しているのであって、藩主個人など、誰に代わっても奉公に変わりはない。ここにこそ、日本の特異な民族精神がある。
井上に至ってはもとより武家ですらなく、この武家の個別の「家」という主体単位を理解することができなかったのではないか。そのために、彼は、かえって天皇を代父とする国家に直接に個人で帰属せんとし、天皇への絶対忠誠を示し、寵愛を求め、彼自身がその側用人としての立身出世を望んでしまい、江戸時代の個人的で卑屈な側用人武士道を範とするところとなってしまったのではないか。井上の国家主義武士道は、井上がキリスト教とは相いれないとして、武士道の「聖書」を作ろうとしたことに如実に示されているように、主君が天皇かキリストかという違いこそあれ、じつは、きわめてキリスト教に似た、主君への個人の絶対隷属の契約、という構造を持っている新宗教だったのではないか。(チェンバレン『武士道:新宗教の発明』(1912)を参照。)
真の武士道はどこにあったのか
倫理は生活に息づいている。その中にある者は、それを当然と感じ、わざわざ意識したり、ましてや人に語り伝えたりしない。それは、そんなことをするまでもないものだからだ。キリスト教、とくにプロテスタントの場合、神と個人とが直接に契約する関係にあり、個人が神に対し公明潔白でありさえすれば、周囲がどう思おうと、それのみで「義」とされる。だが、このような倫理は、もとよりかなり特異なもので、通常、倫理は、当人はもちろん、周囲の人々とも共有され、それぞれの役割や立場に対して相互期待の関係にあってこそ、そこに規範的に実在すると考えられる。たとえば、男は男としてすべきことをするのみならず、女にもまたすべきことを期待し、女もまたしかりであろう。同様に、君臣、同僚、友人知人、そして共同体や人間としての規範体系があり、これは、規範に服するものだけでなく、関係者全員に共通の認識として期待共有されている。
武士道もまた、武家の生活の中にこそある。それは、武家頭領の武士個人の考えなどではなく、武家にある女性や子供、使用人や奉公家たちを含めて、それぞれに当然と感じる、それぞれの役割立場での生き方である。これらは、ふだんはなにも言うまでもないものながら、規範に反する(可能性のある)事例を生じたとき、言上げされ、問題となる。ここにおいて、彼らがなにを当然とし、理想としていたか、が、はじめて明らかになる。
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。