吾妻連邦から12日ぶりに生還した中村さんのインタビューより。
===(産経新聞のニュースより引用)===
--家族の感想は
「妹が電話に出て『生きていたの!』って言われた。勝手なことをやっていて、言えることではないが、親より先には死ねないと考えていた。それで生き残れたのだと思う」
--奇跡的な生還をした感想は
「こうして会見に臨ませてもらったが、奇跡の生還でも何でもなく、自分の恥さらしの会見だと思っている。やらなくてもいいことをやり、福島、山形県警、病院の皆さんなどに迷惑をかけた。本当に申し訳ない。もう夏山も冬山も(登山は)やめます」
===(引用ここまで)===
素敵なコメントですね。
多くのマスメディアで記事のトピックスとしていたのは
「親より先に死ねない」
という言葉です。
よく、「自分のことを考えるより、人のことを考える方が、頑張れる」という言葉を聞きますよね。
でもこれ、ちょっと欺瞞っぽい響きを感じます。
誰だって自分第一、自分より人のことを考えて頑張れる、なんて、到底思えないんです。
とはいえ、自分だけのために頑張るのもさもしいし、どこかで息切れするもんなんだと思います。
大事なのは
「自分のため、という気持ちの中に、“誰か大事な人”の存在が刷り込まれている」
ことだと思います。
中村さんはきっと、「自分のために」生き続けよう、と強く思えたんでしょう。
そして、その「自分のために」の中に、親の存在があった。
だから「親より先に死ねない」という、親(=他の誰か)思いの気持ちではあるものの、主体が「自分の願望」の言葉として出てきた。
こういう言葉は素敵で、力強いです。
そして、そんな想いであれば、他人に届く。
今回はきっと、神様に届いた。
「あなたのため」⊂「わたしのため」 の記事
http://www.insightnow.jp/article/438
でも触れましたが、そんな包含関係が無意識にできている「気持ち」が、人間として一番強いんだと思います。
勝手な独りよがりの「自分だけ」の気持ちよりも、責任転嫁の裏返しのこともある「他人のため」の気持ちよりも。
※「○○のために頑張ったのに~(なんでうまくいかなかったんだ)」みたいな言い方が、典型的な責任転嫁の例でしょう。
蛇足ですが、もう一つのコメントも素敵ですね。
「奇跡の生還でもなんでもない、自分の恥さらし会見だと思っている」
このテの記事には、「奇跡のドラマが生まれた」事実はあります。
しかし、生んだ張本人が「ドラマだ」と思い、必要以上にアピールするものじゃありません。
自ら危険に向かい、心配をかけ、奇跡的に助かった…家族の対面には「よかったねぇ」とは思うものの、全然美談じゃないんですよね。
捜索で莫大な税金が使われる場合もありますから。
中村さんは多方面に迷惑をおかけしたとは思いますが、紹介されているコメントだけで、多くのことを伝えてくれています。
だから僕も、その気持ち、伝えるのを少し、助けたい。
こうして記事にすることで。
毎日ブログ更新中!http://www.zkaiblog.com/histaff/
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