牛という「家畜」を擬人化したら、そのまま「成果主義の社会」を描いただけになってしまったブレンディのWEB限定ムービー。自分たちは「家畜」なのだという現実を思い知らされて怒る人々と、その怒りを理解できない人々がいる。
昔、勤めていた企業で「評価は自分ではなく上司がするのだから、評価されるように振る舞いなさい」と指導されたことを思い出す。多くの企業には、スキルやコンピテンシーという「企業が望むスペック」を図るためのモノサシが用意されていて、そのモノサシによって評価=給料が決まる仕組みになっている。要するに「濃い乳を出す」というスキルがなければ評価されない“ウシ子”とまったく同じなのである。
けれど、企業の「成果主義」は実はあまりうまく行っていないケースが大半だ。成果を客観的に図ることが思いのほか難しく、中途半端に数値化しても、結局は上司のさじ加減となってしまう。「企業が望むスペック」というよりも「上司が望む人間性」が評価基準となりがちなのだ。上司が変われば評価基準も変わる。そういう現実に、反発する人と、唯々諾々と従う人がいる。だから、問題のムービーを気持ち悪いと思う人と、何が問題なのかわからない人がいる。
要するに、自分自身の価値を図る評価基準を、自分自身の内に持つか、外に持つかで、受け取り方が分かれている。
筆者自身は、このムービーを気持ち悪いと思う。努力が報われる世界は確かにすばらしい。しかし、その努力が、他者が定めた評価基準をクリアするためのものだとしたら、すばらしいと手放しでは喜べない。このムービーを「超感動作」だとはとうてい思えない。私は「家畜」ではない。自分の価値は自分で決めたい。あなたは、このムービーをどう思っただろうか。
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