【シリーズ:個として強い職業人を考える】 多くの人がネットとつながっていないと不安にかられる昨今。そんななかで「孤でいること/孤の時間」を考える4つの観点───
ただ、わたしたちは凡夫だから、なかなかふだんの生活のうえで“quiet”になれない。むしろ“quiet”が怖いために、いろいろな刺激や興奮で時間を埋めようとする。そこでウォルトンは「釣魚」を勧める。それによって“quietなる境地”を一時(いっとき)でも学びなさいというわけです。私は釣りと並んで「登山」も強く推したい。
釣りも登山も、肉体的な負荷にさらされ、外界の状況を刻々と察知していくという意味では動的です。しかし心には忍耐と沈思が求められ、きわめて静的である。釣果や登頂といった結果は、長い長い「静かな時間」の末に、ごほうびとしてやって来る(ときに、やって来ない)。
釣りや登山が与える最高のものは、「釣れた!」「登った!」という感動よりもむしろ、おおいなる自然に抱かれながら、一個の小さな我が大きな我と溶け合っていく、そのときのすがすがしくも力強い「静かさ」を学ぶ機会ではないでしょうか。
ちなみに、『釣魚大全』の原題は、“The Compleat Angler, or the Contemplative Man's Recreation”(完全なる釣り師:もしくは沈思する人間の娯楽)となっています。
◆観点〈3〉 孤の時間を持て
「我々が一人でいる時というのは、
我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。
或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、
芸術は創造するために、
文筆家は考えを練るために、
音楽家は作曲するために、
そして聖職者は祈るために一人にならなければならない」。
―――アン・モロウ・リンドバーク『海からの贈物』
わたしたちはますます、「孤の時間」をなくしています。ここでいう「孤の時間」とは、自分一人になって何かを思索したり、創造したりする時間です。
少なからずの人が、一人で物事を考える、一人で何かをやることを、どこか陰にこもったカッコ悪いこととしてとらえがちです。しかし、孤の時間を持ち、自分の内面を耕したり、夢想にふけったり、何か表現物をこしらえたりすることは、豊かな人生のためにはなくてはならないものです。ゲーテは言っています───「内面のものを熱望する者は、すでに偉大で富んでいる」と。
歴史上のあらゆる偉業や名作は、たとえそれが複数の人間の手で成されたものであっても、根本は、一人の人間の「孤の時間」のなかで芽生え、醸成され、決断されたものです。
次のページ◆観点〈4〉 孤独は孤立ではない~Only is no...
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
【個として強い職業人を考える】
2015.07.13
2015.07.21
2015.08.03
2015.08.17
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。