今年の漢字は「偽」という誠に悲しい文字となってしまった。振り返ってみれば、それが何とも今年の本質を突いているだけに、より情けない。 そこで、明年に希望を託し「共」というキーワードを考えてみた。
共にある場として、人が多くの時間を過ごす職場と家庭を見てみよう。
ふと気づけば職場で上司・同僚・部下の別なく、共に過ごすという時間や場が減っている。
もちろん執務中は机や作業場を並べていることが多いが、それは各々の仕事だ。
「最近コミュニケーションが足りないな」などと、思いついたように上司が部下と面談をするも、実に散発的である。
一昔前はもっと職場全体が自然と共に過ごす時間を持っていなかっただろうか。
業務時間後の飲み会は、個人主義を尊ぶ風潮から敬遠されるようになって久しい。
禁煙運動の高まりからタバコ部屋が廃止され、喫煙者たちのコミュニティーもなくなった。
経費削減や利用率の低下から、社員食堂や社員寮、社宅なども廃止されつつある。
「同じ釜の飯を食うということが大切」という論を今更展開するつもりはない。
しかし、個々の担当者や自分の属する部門の業務やミッションを離れたコミュニケーション、価値観の共有の途絶は、不正発生の歯止めの喪失に繋がってはいまいか。
個々人で閉じた業務。部門の外と交流のない業務。そこに過大な目標設定がなされたら、邪な心が芽吹きはしないか。
昨今の不正や偽装は特定部署が密室状態で行ったことが発覚する例が多い。
問題を起こさないよう、部署内の担当者相互、部署を離れた社内の人間同士が「それはマズイんじゃないの?」の一言でもかけられるような環境があれば、幾分は防げるのではないだろうか。
過去の家族主義的な経営に逆戻りすることがよいとは思わないが、何らか、企業内で「共にある」状態を作る試みがもっと行われてほしいと思う。
筆者の専門領域であるナレッジマネジメントの世界でも、いわゆるエンタープライズ・ポータルの機能の一つに社内SNSを組み込むような取り組みがなされている。
さらにアナログな取り組みとしては、一部の企業では社員の家族も招待して「社内運動会」を開催するような動きもあるようだ。
是非とも各社とも妙案をひねり出してほしいものだ。
一方、家庭に目を移すと、個々でも家族が「共にある」シーンが何とも乏しくなっている。
家族が食卓を共に囲むことは週に何度あるのだろう。
冬には家族で鍋を囲む姿が思い起こされるが、その鍋物とて、今日では「個別鍋化」が進んでいるという。
昔はお茶の間のテレビを家族で囲んだものであるが、テレビが大画面化してもそれを共に見ている姿は余り見受けられない。各々が交互にホームシアターを楽しんではいても。又は、自室に薄型コンパクトになったテレビが持ち込まれ各々が楽しむとか。
テレビに光回線が接続されて、インターネットも家族利用が進むともいわれているが、現状から考えると、家族で楽しむ姿は余り想像し難い。
電話も固定電話から個々の携帯電話利用が主となり、家族が相互に電話を取り次ぐようなこともなくなり、家族の交友関係もお互い全く与り知らぬものになっている。
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2008.01.08
2008.01.11
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。