タイトルは「わげんあいご せんいじょうもん」と読みます。 仏教の『大無量寿経』の中に出てくる言葉で、直訳すると“やわらかい顔で優しい言葉。相手の気持ちを鑑みて問いただせ”となります。
いい仕事がない、と愚痴る。仕事についてもすぐ辞める。
恋した女性が振り向かなければ、挙句の果てに…。
これが真実なのであれば、幼い頃から「与えられる」ことに慣れ、「与える」姿勢も、能力も、そもそもそういう発想も身につかなかった犯人像が容易に想像できます。
与えられることは当然のことではないんです。
与えて、初めて与えられる。
そんな考え方が身についた成員が多い社会の方が、圧倒的に幸せが満ち溢れた社会だ。
今回の事件から、再度、強く感じました。
そして、皆さんも、社会全体が幸せに満ち溢れたものであって欲しいと願うのであれば、
「まず与える」
無意識に、そんな行動をとれるよう、自分自身を磨くことが大切なのではないでしょうか。
(と書きながら、僕自身にも言い聞かせています)
最後に。倉本さんのお父さんの声を。
「舞衣のことを無念の死とか、かわいそうとは思わないでください。大好きな子供たちを最後まで守ったのですから」(毎日新聞ニュースより)
こんなに辛い出来事があっても、「和顔愛語 先意承問」の姿勢を貫けるお父さんに涙が出ます。
合掌。
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