『格差の壁をぶっ壊す!』(堀江貴文/宝島社新書)を読んで感じたこと。後編です。
稼げる腕を持っておく、自分をブランディングしておく、などは、バブルも経験しておらず、受験や就職、競争に常に晒されてきた団塊Jr.世代に、同じように考えている人も決して少なくないと思います。
3章 オトコとオンナにまつわる格差
男女格差、恋愛格差、結婚格差、見た目格差などが述べられています。
※今回の書評の流れとは少し異質な章なので、書評からは省略します。
4章 格差を生む心理
印象格差
ヒールにされるケースに共通しているのは、原理主義的な嫌悪感を抱かせるようなエピソードがことさらに煽られているということだ。
「こういうことをしたら嫌われる」と多くの人が思っている行動をすれば、嫌われ、ヒールになります。
もちろん、直接的な被害を多くに与えている人は、嫌われても当然ですが、「こういうことをしたら嫌われる」ものの中には、(それをしたことで)そこまで嫌わなくてもいいじゃん、という行為も少なからずあるのが現実です。
堀江氏の学生時代のアルバイトのエピソードで、こんなことがあります(彼のバイト仲間に僕の友人が多かったのです)。
ある日、2泊3日で、とある調査のアルバイトがありました。アルバイト仲間で空いていたのは堀江氏のみ。
雇用主からは「行ってほしい」と懇願されました。しかし彼は拒否。理由は「その地にうまい酒がないから」。
これは嫌われるでしょうが(苦笑)、ヒール、ではないですよね。自分の主張を通しただけで。
堀江氏の行動にはこのようなものが多いと思います。だからどんな行動も、脊髄反射的に嫌う人が出てくるのでしょう。
補足ですが、堀江氏の上記アルバイトでの立ち居振る舞いは、僕も嫌いではあります(苦笑)。
ただ、だからといって、責めたりせず、「行為自体は認める」「自分はそういう人とお近づきになりたくないわ~と感じる」という立場です。
格差思想
格差問題がここまで大きなテーマとして、今なお論じ続けられているということには、理由がある。それは、主として格差の下にいる人間が、「格差は絶対悪だ」と思いこんでいるからである。そして彼らは、病的なまでに「格差は是正しなければいけない」という強迫観念に駆り立てられている。その原動力となっているのは、格差の上にいる人間に対するねたみ、ひがみである場合がほとんどである。
序章でも語られていることであり、全く同感です。
格差は相対的なもの(中略)だから、格差の上にいるから安心であり、格差の下にいるから不安だなどと言うのは、まったくのウソである。どこまでいっても不安ばかりであり、本質的に安らぐということはありえないのだ。
安心を求める人が一番欲しがるのは、安定だ。
次のページもし、格差の不安からどうしても抜けだしたいのであれば、...
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
書評
2011.10.26
2011.10.26
2010.05.10
2010.05.10
2010.05.10
2010.03.21