身近な人のすごいところを、純粋にすごい!と思い、口にする訓練をしてみませんか? 「あいつはここがダメなんだ~」と、悪いところに注目するのではなくて。 「みんなちがって、みんないい」社会を創るためにも必要なことだと思います。
飛び込んだ結果、苦手だったことが得意になるかもしれません。これが成長ですよね。
2.悪口をいわなくなる
異質な人と言うのは、自分にできない部分を持っている半面、自分からすると「どーしようもないな~」と感じる部分も持っているケースが多いです。
例えば僕の妻の場合、上述の家事についての振る舞いができる「きちんとした」性格であるため、出かけるときの準備などが遅く、イライラするときもあります(苦笑)。
身近であるがゆえに、こんな些細なことでケンカ…という方も大勢いらっしゃるでしょう。
でも、「自分が持っていて、相手が持っていない能力・性格」は、実は、「相手が持っていて、自分が持っていない能力・性格」と表裏一体であることが多いんです。
つまり、相手の「できない」ことを責め、治すよう求めると、これまでやってくれていた「すごい!」という部分ができなくなるわけで。
「すごい!」と思い、伝える機会が多ければ多いほど、他人の持っているアラに対し「仕方ないよね、○○という長所と表裏一体だもんね」と思えるようになります。つまりは、他人のできないことへの悪口につながらなくなります。
3.技術としての「褒める」が不要になる。
身近な人に「すごい!」と感じ、声を発する行為と、よくある「褒めて伸ばす」という行為は、その本質が真逆だと思っています。
「すごい!」と感じるのは、自分と異質であるところか、同質だけれども自分には到底到達できないレベルに到達していることに対して、なのですが、「褒める」点を探す、長所を見つける、という行為をしているときの自分は、自分と同質(=自分の価値観の中で「素敵」と思っていること)で、かつ、自分が到達可能なレベルの行為に対して、じゃないですかね?
例えば、リーダーシップ型の上司は、部下の「リーダーシップ」につながる行為を褒めるでしょうが、「マネジメント」につながる行為は褒めにくい。
マネジメント型の上司は、部下の「マネジメント」につながる行為を褒めるでしょうが、「リーダーシップ」につながる行為は褒めにくい。
巧遅より拙速を好む人は、他人のスピードある行為を褒め、ノロノロしているところをどうしても責めがち。
拙速より巧遅を好む人は、他人のキッチリしている行為を褒め、素早く判断した結果としての「やっちまった」失敗を責めがち。
じゃありませんか?
「褒めて伸ばす」ことも必要な時はもちろんあります。
しかし、「褒めて伸ばす」技術ばかり追いかける人は、結局のところ、自分の分身(かつ、自分よりレベルの低い人間)を作ろうとしているだけで、その人から自分自身が良い影響をもらい、お互いに刺激し合う…ということにはまずならないと思います。
次のページ是非、身近な人を「すごい!」と言えるようになり、成長と...
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
教育論
2011.12.27
2011.12.26
2011.10.24
2011.10.07
2011.08.29
2011.07.20
2009.04.09
2009.04.09
2007.09.23