千葉市長、熊谷俊人氏のツイッター利用が議会にて質問されたようです。 市長のツイッター利用について。 そしてこれを種にして、考える訓練をしてみましょう。
ただ、自分の経験からの意見ですが…
困ったことに、ツイッター反対派は、「ツイッターをやっている」という事実だけで脊髄反射的に反対しがちなんです。ツイッターに限らず、Webメディアに自ら表現することには、揚げ足をとれるところ満載ですからね。
例をあげると…
「そんなこと書いている暇があったら黙々と仕事すべき」
「何か変なこと書いたらどうするんだ、どう責任とるんだ」
「ツイッターなんて一部の人しかわからないツールを使ってはいけない」
などなど…
そして、今回の新聞記事で「苦言」とされたことも、(非常時、という要素は加わるものの)ツイッターをやっている事実があれば、まず出てくる反論の域を出ないと感じます。
だから、熊谷市長が、指摘された時(震災時)に、どのようにツイッターを使っていたか、が大事なのであって、この記事に書かれた内容だけでは是か非か、わかりません。冷静にみると。
#だから「苦言」とするのはやはり偏向的表現と感じますね。
では、熊谷市長はどうだったか。
僕は熊谷市長のツイッターを震災前からフォローしていますが、非常に市民目線…というか、人間として感じる「心」に従った発言をされており、「この方が市長だったら、市では良い(子どもたちへの)教育ができるのになあ」と感じたこと、しばしばあります。
正確には覚えていないのですが、“「小学校の運動会の練習がうるさいからなんとかしてくれ」という声が市民から教育委員会に届いた。あの、運動会とは、学校とは、そういうものですから。”といったツイートがあったときに、その堂々とした姿勢に共感したものです(確か、教育委員会から「どうしましょうか?」と聞かれ「そんな意見に振り回されなくてもよい」と答えた、的ツイートもあったと思います)。
震災時のツイートを、震災時にいくつか拝見しました。
こちらにも、一生懸命市民に語っている彼の姿が映し出されていました。
だから僕は、熊谷市長がツイッターを使うことについては、(そりゃ、たまに「ツイッターの発言に振り回された」ことがあるでしょうけど)市政への影響がプラスに作用することの方が圧倒的に多いと感じているんです。
同じく、市長の立場でツイッターをやられている、佐賀県武雄市の樋渡市長。
彼もかなり、ツイッターに時間をさいています。
こちらについても賛否両論はあるでしょうが、こちらは千葉市以上に、プラスに作用していると思います。
このツイッターが、どれだけ武雄市の知名度、そして観光客の増加に貢献しているか、測り知れませんから…
どんな行動をとっても、プラス、マイナス、両方の作用があります。自分一人で完結する行動ではない限り。
社会の中で生きるってそういうことでしょう?
そんな中、マイナス部分だけ述べて批判する、その批判を気にするが余り行動しないという選択肢をとりがちになる…
こんなことに満ち溢れる社会は、成長しませんよね。
市長のツイッター利用の本記事と、この記事への藤川教授の反論は、「社会の中で行動する」ことについて考えるタネを与えてくれています。
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