東日本大震災から3ヶ月の月日が経った。この間に、心底、感じたことがある。あと何年生きているかわからないお年寄り達の政局争いに、日本の未来を託せない。
私事であるが、先月末の金曜日に、某社長とともに宮城県の気仙沼に入り、その被災地を目の当たりにしてきた。東北新幹線の一ノ関駅からクルマで1時間とちょっと。山間の道を行くこと55分、地震の爪跡などはなく、のどかな田舎の風景が拡がっている。のんびりしたドライブだった。しかし、沿岸に迫った最後の数分、突如として瓦礫の惨状が現れる。
私達に街を案内してくれた気丈な女性は、「生きてて良かった」から「会えて良かった」へ、そして「見つかって良かった」という、顔を合わせて話す言葉の意味合いが時間ごとに変わっていく様子を涙を浮かべながら説明してくれた。
震災から約3ヶ月。瓦礫の山の間には、クルマがやっと行き交うことのできる道が出来ている。瓦礫をひとつひとつ運び出すために出来た道だ。再び立ち上がるために歩む道だ。
そんな道に立って考えた。瓦礫のひとつも動かせない「お年寄り」の政治家が、この街の未来を議論していていいのか?その重さを体感できない人間に、街が復興するとは何かを語る権利を与えていいのか?気仙沼の街に漂う魚の腐臭は、有事における一番の資産である「時間」をキャッチアップできない日本という政治家達の加齢臭に似ている・・・。
「TIME」紙は、3月の大震災から立ち直ろうと頑張る日本人を見て、こんな記事を掲載したそうだ。「狭い島国で災害と向き合って生きてきた日本人の言葉には『Syouganai』という言葉がある。『どうしようもない』という諦めではなく、人間の力で及ばないものを受け止め、受け入れて再び立ち上がる再起の言葉である」。
『Syouganai』と嘆きながらも、再び立ち上がっているのが被災した現地である。『どうしようもない』のは、国家を動かす「年寄り」達である。大きな決断は、もう期待しない。そういう決断が難しい事情もなんとなくわかる。その大きな決断が、些細なことで否定に変えてしまうマスコミがいることも知っている。・・・であるなら、例え、小さくても、具体的に実行して、小さな支持を積み重ねていくことを心がけて欲しい。マスは、完全に解体されているのだから・・・。
小さいことをちゃんと実行することこそ、具体的な成果を出し続けることこそ、「鮮度」の維持である。それもままならないまま、昔の大きなイデオロギーをふりかざし、政局を動かそうとする「年寄り」達は、日本を腐らせる。加齢臭への心配りを忘れたような政治家の皆さんに、これ以上、税金も義援金も渡したくはない。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。