「バンカラ」とか「ハイカラ」とか、例示するには既に死語だが、かつて各大学には強烈なカラーが存在した。カラーというのでなければ校風といっていいかもしれない。それが希薄化している気がする。ナゼだろうか。
つまり、大学の入試難易度の差異は相変わらずあるものの、金銭的な入学のしやすさは全体的に低くなる一方、学生を取りまく、金・時間・モノ・情報という要素において、個々人の差がなくなっている。その結果、個性がフラット化した個々人が各大学に散らばっているという状態が、「大学カラーの希薄化」を招いているのだと推察できる。
大学カラーの希薄化は、卒業生にとってはゆゆしき問題であり、嘆かわしき自体かもしれない。しかし、大学カラーの希薄化は時代の趨勢だろう。それに、ひとたび社会に出れば、「○○大学出身」という肩書きは以前のように意味をなさなくなっている。前述のある業界の人事担当者も「出身大学は問わない。人物本位だ」と口を揃えていた。
大学生を取りまく環境は厳しく、また、大学生だけでなく没個性化・フラット化は現代社会全体の傾向かもしれない。しかし、筆者は大学生に就職のためだけではなく「個性のフラット化」に抵抗して欲しいと思う。「人と同じ自分」はいない。「唯一無二の自分」を自覚することが、生きていくための力になると考えるからだ。
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2015.07.17
2009.10.31
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。