「おれ、お前が好きや」なんて告ったときに 「うん、ウチも好きやで」と速攻、あっさり返すのと 「え・・・、ウチも。・・・・・好き」とはにかみながら答えるのとでは意味がかなり違う。言葉の不思議さです。この不思議さにコミュニケーションの真髄が秘められています。
自分にとって新鮮な発見であることはいうまでもなく、相手にとって魅力
的に映る。「あっ、この人には、私の知らないところがまだある」と思わ
せる力になります。
そうやって自分という器のどこかを、ほんの少しでも押し広げることがで
きれば、飛び出した部分とバランスを取るために、他の部分もほんの少し
かもしれないが広がっていくでしょう。だから、ひたむきなコミュニケー
ションは、自分を少しずつふくらませ成長させてくれるポンプのようなも
のでもあるのです。
問題は、そんな真摯なコミュニケーションを取れる相手は誰なのか。たと
えば夫婦がお互いにとって理想のコミュニケーション相手であり続けるな
んてことは結構難しい。だってずっと一緒に暮らしていると、わざわざわ
かろうとしなくても、相手のことなんてほとんどすべてわかってしまう
(というか見えてしまう)でしょう。
むしろ子どもは日々成長しているから、親にとってはいつも新しいなぞを
秘めた存在となりうる。だから親は子どもとコミュニケーションをとりた
がる。でも子どもから見た親はたいていの場合、一向に代わり映えのしな
い存在でしかない。変わらないだけならまだしも、どんどん衰えていくと
いうか、落ちぶれていく一方です。そんな相手と子どもが積極的にコミュ
ニケートしたくなくなるのはわかってあげないといけませんね。
じゃ、どうすればいいのか。ありきたりな答でしかないけれども、やはり
いつも自分を磨き続けること。昨日とは、ほんの少しでいいから今日は違
う自分になっていること。いつも主体的に変わり続けること。これしかあ
りません。
といっても別に難しく考える必要はないのです。とりあえずは新しもん好
きであれ、好奇心一杯であれってこと。そうやって何か一つでも新しく自
分にインプットすれば、それだけ自分は変わることができるのだから。
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