私たちは自分の「仕事」が「労役」化してしまう引力に常にさらされている。そうならないための最大の処方箋は、力強い楽観主義を持つことである。
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「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」
―――仏哲学者・アラン
私は主に企業に勤めるビジネスパーソンたちと日頃、仕事で接しています。
彼らの多くが「仕事がツライ」と口にします。
この「ツライ」には、千差万別あります。
能力のキャパと仕事の要求がミスマッチでツライ場合もあれば、
嫌で嫌でしょうがない仕事を任されてツライという場合もある。
仕事に何らかの面白みを感じていてツライと思いながらも頑張れる場合もあれば、
まったくの怠け根性でただツライツライと愚痴っている場合もあります。
また、私は直接の接点はありませんが、
世の中には不幸にしてフリーター人生を余儀なくされ、
日々、本当にツライ3K仕事をして糧をつないでいる人もいるでしょう。
私はこの「仕事のツライ」に対して個人ができうる最大の処方箋は
楽観主義を持つことだと思っています。
(もちろん、企業や社会が制度面で解決しようとする努力は複合的に必要です)
つまらない、
生きるためにしょうがない、
どうせ俺の人生はこんなもの、
所詮、会社や世の中はそんなもの、
といった悲観主義を分母にしたツライは、早晩自分の心身を痛めていくのが確実です。
一方、
そこに何か面白みを見つけてみよう、
働くことでいろんなことが勉強できる、
この方向で頑張れば何かが見えてくるはず、
この仕事には意味を感じているから、
など楽観主義を分母にしたツライは、自分を成長回路に乗せてくれます。
ちなみに私がここで言う楽観主義とは、
状況を気楽に構えながらも「最終的にはこうするぞ」という意志を含んだ姿勢のことです。
ですから楽天主義とは異なります。
楽天主義とは、意志のない気楽さです。根拠のない安逸と言ってもいいかもしれません。
(別名:能天気)
いずれにせよ、
悲観主義をベースにするか、楽観主義をベースにするかで
仕事のツライは、天地雲泥の差が出ます。
(5年後、10年後、20年後の差は決定的です!)
だから、私は楽観主義を声高に勧めたいのです。
では、楽観主義と悲観主義の分岐点はどこにあるか―――
それは冒頭のアランの言葉にもあるとおり、
目の前の状況を
意志的にとらえるか、それとも、感情で流されるかにあります。
自分に言い訳をつくって、他に責任を転嫁して、感情に流されるのは簡単なことです。
しかし、そこをあえて、未来的な意志の下に
状況をポジティブに建設的に解釈しなおしていく。そして行動していく。
この微妙な心持ちの差が、一刻一刻、一日一日、一年一年と積み重なって
結果的に悲喜こもごもの人生模様になるんだと私は思います。
次のページ○例えば、仕事は「ゲーム」だと考えてみる。
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【仕事の基本概念を持つ】
2009.08.20
2009.07.26
2009.07.18
2009.07.11
2009.07.08
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。