~高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ~ 1980年~90年台にかけての日本経済のバブルが膨れ上がって破裂前後の頃の、筆者のドロドロの商社マン生活の実体験をベースに、小説化しました。 今も昔も変わらない営業マンの経験する予想を超えた苦楽物語を、特に若手営業マンに対して捧げる応援メッセージとして書きました。
そうこうして、配属されてから一年近くが経った。
週に何度も早朝から宇都宮に通い、嫌がられてもまずは顔だけでも
覚えてもらおうと一日中待合場所でぶらぶらした。
お昼は、工場の食堂で冷えたうどんを、ヘルメット姿の工場の作業員
たちが占有する机の隅の横ですすり、午後からは、色々な機械や設備
のカタログを手にして、隙あらば資材部、設備部の方々に声を掛け
ようと歩き回った。
だけど、結局ろくに話も聞いてもらえず、話題も続かず、門前払い
を食うか、あるいは一方的に挨拶だけで終わったりして、その結果
を引きずって、打ちひしがれては赤坂本社に夜遅く帰社した。
そうすると、決まったように、まだ会社に残っている関に雷を落と
された。
関の雷を余韻に、机の前の山積みされた例の暗号だらけテレックス
に目を通し、くたくたになって深夜に寮に帰るという毎日が続いた。
篠原由美子は、夜の8時や9時に宇都宮から帰社しても、いつも
残業しており、宮田を見つけるといつも満面の笑みで迎えてくれ
たが、彼女も相当忙しいらしく、マイクと3人で食事をして以来、
夜のお酒や食事に誘い出したりする余裕もチャンスもないままで
あった。
「宮田くん。 さっき、同期の森永さんから電話があったわよ」
篠原が渡してくれたメモには、同期の森永の配属された部署である
非鉄金属本部、非鉄製品部の内線番号が書いてあった。
森永は、東京六大学の有名私立大学の柔道部キャプテンをしていた
こともあって、豪放磊落、体重も90キロはあろう体育会系の巨漢であった。
電話の向こうで森永が言った。
「おう!宮田か。 元気にしてるか? 今日もう終わるけど、久し
ぶりに飲みに行かんか?」
入社直前の富士山の新人合宿以来大変気が合う同期仲間の一人で
あった。
2人は、そそくさと会社を出て、会社近くの居酒屋に入って、
まずビールを頼んで、乾杯をした。
次回に続く。
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商社マン しんちゃん。 走る!
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