あの!スーザン・ボイルさん、残念ながら優勝できませんでした。「ナンバー2」という立場をどう捉えるべきでしょうか。内外でナンバー2の人たちが活躍しています。 戦略という観点からも、ここには「ナンバー2」ポジショニングのメカニズムがあります。
日本でもありましたね。今大人気??のオードリー。M1では優勝してないのに、優勝した組を誰も覚えていない中、オードリーが突出して露出を獲得してしまった事実。これまた「ピークでないゆえに批判が生じにくい」という特質があります。
「トップを取らない」戦略は戦国武将でもいました。黒田官兵衛(如水)です。竹中半兵衛とともに、秀吉の両翼軍師と呼ばれる有能な幕僚でした。本能寺の変で主君・信長が打たれた時、毛利と合戦中の秀吉軍に、有名な「中国大返し」をさせ、天下人への道を作りました。しかし秀吉は、その切れすぎる如水の頭脳に恐れを覚え、天下統一後も豊前12万石という少領しか与えませんでした。
44歳という若さで隠居し、息子・黒田長政に家督を譲った如水は隠棲しました。しかし再び天下が風雲急を告げた関ヶ原が起こりました。実は羊の皮をかぶった狼・如水は家康と三成による二虎競食の計を画策し、洪水の如く九州を制圧します。しかし関ヶ原では如水の読みが狂います。
東軍西軍が死命を決する戦いをすれば、兵力に勝る西軍が勝つが、それでも数か月や半年以上に及ぶ死闘となり、その結果勝った石田三成にはもともとリーダーとしての能力も人望も無いため、正に如水が三成に代わって天下を取れるという戦略だったのです。
結果は、子息・長政の大活躍により、わずか半日で関ヶ原は終わります。何とも皮肉な結末に終わったのでした。
以後、如水は家康から関ヶ原の勲功を称えられ備前50万石を封じられ、完全隠居。戦死も刑死も暗殺もなく、59歳で一生を終えました。歴史的な「2位人生」だったのでしょう。
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2009.10.27
2008.09.26
株式会社RMロンドンパートナーズ 東北大学特任教授/人事コンサルタント
芸能人から政治家まで、話題の謝罪会見のたびにテレビや新聞で、謝罪の専門家と呼ばれコメントしていますが、実はコミュニケーション専門家であり、人と組織の課題に取組むコンサルタントで大学教授です。 謝罪に限らず、企業や団体組織のあらゆる危機管理や危機対応コミュニケーションについて語っていきます。特に最近はハラスメント研修や講演で、民間企業だけでなく巨大官公庁などまで、幅広く呼ばれています。 大学や企業でコミュニケーション、キャリアに関する講演や個人カウンセリングも行っています。