女子中高生のなりたい職業に「キャバクラ嬢」がランクインされているというニュースが流れたのは最近のことだ。 その現象を、バカな話だと一笑に付していいのか?ニッポンのギャル文化の底力について考えてみる。
時代は、螺旋的に発展する。行っては、戻り、バージョンアップした原点回帰現象を繰り返しながら暮らしは豊かになってきた。そして、1階層ずつの螺旋の円の直径が、昔から比べると随分短くなった。この時代の目まぐるしく生まれる流行や文化は、そうやって生まれている。
では、螺旋的発展を可能にしてきた力とは何か?
それは、常に、今動いている時代とは逆行する力である。そうでなくては、原点回帰するためのキレイな円=和が描けない。その重要な力を司ってきたのが、誰であろう「ギャル達」「ヤンキー達」である。
いわゆる「下流層」で、意匠を変えつつ現れ続ける「ギャル的なもの」「ヤンキー的なもの」こそ、日本のポップカルチャーの源流なのだ。
日本は、世界に流通することの難しい複雑な言語体系を持っている。欧米諸国のように、多くの人々の、様々な言語や表現スタイルが入り交じって文化を築きあげてきたわけではない。しかし、文学作品やアニメ作品を見ると、世界から見ても驚くほどの多様な感覚と表現を持っていると言われている。そして、この時代の節目に、どこよりも早く人口減少化社会を迎え、消費市場の成熟を身をもって経験してきた現代の日本において、次を予見することのできるような多様なポップカルチャーが生まれつつある。その旗手が、いわゆるギャル達である。現代日本のカルチャーシーンを語る上で、日本のギャル達の動きは、見逃せない。
授業中の落書きとポップカルチャー。
ポップカルチャーとは、何か。その定義ができるほどの知識や経験を持ち合わせてはいない。しかし、ポップカルチャー的だと思うシーンは、誰もが共通して持っていると思うと確信する。それは、つまらない授業中の落書き遊びである。眠い授業に飽きた連中は、思い思いに、教科書に落書きをする。あるグループは、それでは物足りず、落書きしたメモを回し読みする。それでも、面白くない連中は、教室を出る。マニキュアを塗り始める。これが、まさしく「ギャル達」である。従順ではない大衆のシンボルが、「ギャル達」であり、そういう等身大の対抗精神から産まれ出てくるのがポップカルチャーなのだ。
授業中の落書きは、つまらない時間の消費に対する対抗である。教室から出て行ったり、マニキュアを塗っちゃうのは、義務教育で守られている市場からの自立なのだ。ヤンキー的なるものが隆盛を極めるきっかけとなったロックバンド・横浜銀蠅は、週休2日制が導入され、人々の関心が労働から消費へと移り変わる大きな時代の節目に生まれた。ギャル文化の奔流と言われるジュリアなのお立ち台ギャルは、1980年代後半から始まるバブル期のDCブランド消費の対抗として生まれている。だから、ギャル文化を、ただの消費文化の観点だけで見ると、その本質を見誤ることになる。
次のページ消費社会と訣別するギャル文化。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。