大学生に「基礎的一般教養をきちんと教える」ということはどういうことか?
相手に応じた興味関心のところから入った後は、それらを題材にして「できるようにする」。
そのあと「反復演習」させて忘却曲線を上方へ移行。
最後に「なぜ」という部分を教える。
すると、最初から「なぜ」を考えることは嫌がっていた学生も、「できるようになった」ことで聞いてくれるかもしれません。
これが「“相手”が“理解”する、この1点に集中した教育」だと思います。
小学生に金融教育を通じて計算ができるように…
大学生に、テクニックではなく「なぜ」から入る教育を…
そんな単純なものではないと思うんです、「理解させる」って。
相手が“常に”できるようになるには、どういう切り口から入り、どういう伝え方をすればよいかー
それを考えるのが「基礎的一般教養をきちんと教える」ことにつながるのではないでしょうかね。
自分の考える“きちんと”ではないですよ。
“相手”が“理解”する“きちんと”なんですよ!
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