今週は、「給与明細を他人にぶっちゃける」ニュースが世間を賑わした。他人の給与明細って、確かに気になる。素直に見たいとも思う。でも、それが現象として現れるとなると、ちょいと気になる。この現象の先には、何があるのか考えてみる。
中国も経済成長とともに格差社会が生まれた。そのため、「自分が得ている給与は社会全体でどのレベルにあるのか知りたい」という強い欲求が被支配層に生まれ、それを解決したのがインターネットだったというわけだ。日本でも、中国と同じように「給与明細を他人にぶっちゃける」行為は、ネット上で常習化していくのだろうか?資本主義社会の生んだ「格差社会」の徒花のようなものに感じてならない。その現象は、社会の進化ではなく、後退だと思う。
「給与明細を他人にぶっちゃける」行為のやりとりは、結局、民間企業の給料を底上げすることには繋がらない。自由に、自分の給料を上げて行くという自由競争の場を自らが奪うことに直結することを当の本人達は、気づいていない。
中国で「晒工資」が流行する前から、「給与明細を他人にぶっちゃける」のは、とても良いことですと推奨しているところがある。そこのホームページには、こんなことが明記してある。
給与明細を見せ合おう
職場の中で、同年同期の同僚、同じ仕事をしている人、勤続年数の異なる人と、給与明細を見せ合いましょう。給与明細は他人に見せるものではない、と思わされているのは、会社が好きなように給料を決めるためでしかありません。
数名の給与明細をつき合わせたら、
●勤続年数による賃金の違いがわかりますか?
●給料の違いの合理的な内容がわかりますか?
●給料明細の項目の違いはありませんか?
お互いに疑問に思うことを書き出して見ましょう。
※「全労協全国一般東京労働組合三多摩地域支部」ホームページより
「給与明細を他人にぶっちゃける」という行為は、格差社会の結果として行為なのだが・・・ぶっちゃけあってる本人達は、無意識だとは思うが、その先には、共産主義・社会主義が待っている。日本の資本主義経済が、ここ数年、進化を遂げなかった結果が、日本版「晒工資」であるのではないだろうか?
阪急グループ創始者の小林一三さんは、「お金」についてこんな格言を遺しておられる。
「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない」。
給与明細をぶっちゃけてバッシングしたり、他人を羨んだりしている間は、何も起こらない。むしろ、資本主義経済を後退させている。
我々が、格差社会を「給与=お金」のことだと思いこみ、その「明細」のチェックに余念がなくなったら、労働意欲や、向上心は、絶対削がれる。変革の意欲なんて生まれてくるわけがない。
格差社会は、意欲の差が生み出している。「政官財」の利権を守る意欲の方が、常に国民の変革意欲より高いから、何も変わらない。
お金がないからって、給与明細をぶっちゃけていては、この格差社会の思うツボなのだ。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。