年の瀬が近くなると、なんとなく今年の出来事を振り返ってみたくなる。様々なことがあった。大きな事件も。 しかし、筆者がずっと気になっていたのはごく小さなコトなのだ。 ネット上では割と大きな話題になり、様々な議論がなされたコトではあるけれど。
YAHOO知恵袋の書き込みは「ベストアンサー」に選ばれたこんな書き込みで収束している。
<「ありがとう」を言った人の表情、声の感じ、雰囲気など瞬間的に察知してしまいます。同じ言葉でも年輩の人の言葉が良く感じられるのは、言葉だけでなく、表情、声のコントロールが上手になるからだと思います。
若い人の「ありがとう」の軽さ、日本の文化だと言うのなら、言葉の重さっていうのを、理解して発して欲しいんです。
ありがとうを言うのはいいことでが感謝の意を表す、趣きのある言葉あってほしいとも思うのです。
ありがとうが形だけのものになってしまわないように。>
名言だと思う。さすがにベストアンサーに選ばれただけのことはある。
そして、関西の彼にできていて、筆者にできていなかったことの本質を突いている。
筆者の「ありがとう」は<形だけのもの>、つまり形骸化した謝辞であったのだ。
その証拠に、相手を見ていなかった。
「ありがとう」の語源をひもとくと、「有り難し」にあり、枕草子には「この世にあるのが難しい」、つまり「過ごしにくい」という文脈で用いられている。そして、仏教の教えではその「過ごしにくい」世の中で、仏の慈悲で「自分では得難いものを得ている」という仏への謝辞で「ありがとう」が用いられるようになってきたとされている。
人と人とのつながりが、ますます希薄になっていく昨今、仏にすがりたくもなるが、まずは人として本来当たり前言葉である、「ありがとう」をきちんと言えるようにしたいと思った次第である。
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2008.12.21
2009.01.01
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。