明けましておめでとうございます。 何とも、重く、暗い経済環境の中での年明けとなりました。 2008年を表す漢字は「変」でした。 ネガティブな意味での「変」も多々ありますが、ここはひとつ、 オバマ次期大統領に倣って「変革」について考えてみましょう。
私の一番好きな言葉は、
「今日はきのうの続きでも、あしたは今日の続きではない」
というものであります。
幕末の勤皇の志士・変革のリーダーである坂本龍馬の言葉だと聞きました。
では、今日と明日をつなげるものは何なのでしょうか。
「あしたは今日の続きではない」のであれば、その、非連続性を埋めるものが必要なはずです。
私がもうひとつ好きな話があります。
アフリカなのか、アマゾンなのかわかりませんが、
「その部族が雨乞いをすると、必ず雨が降る」というものです。
魔術や超科学に長けているわけではありません。
本当に自然の神と通じているわけでもありません。
理由はカンタンなのです。
「雨が降るまで、ひたすら雨乞いをするから」 なのです。
でも、実際にはそんなにカンタンなことではありません。
全身全霊を尽くし、祈り、踊り、謡い。
それを、ひたすら雨が降るまで、毎日毎日続けるのです。
「今日はきのうの続きでも、あしたは今日の続きではない」
これはそのとおりで、私の座右の銘です。
しかし、それを現実にするためには。
「今日とあした」の、「非連続性」を埋めるためには、
ひたすら、「祈り、踊り、謡う」という、
壮絶な「今日」がなければいけないのだと思います。
「祈り、踊り、謡う」を現代人はうまくできるのでしょうか。
できないのであれば、その代わりを行わなくてはないのではないでしょうか。
「踊る」代わりに、必死でおろおろと動き回り、足掻く。
そして、「謡う」代わりに、自らの哀れを嘆く。
いつしか足掻きに疲れ、嘆きに疲れ、「祈る」。
最後は「祈り」に通じる。
しかし、祈るだけではだめなのだとも思います。
これは、キリスト教の言葉だと思います。
「神は自らを助くる者を助ける」。
辛い昨日があっても、そこからただ、「逃げる」だけではなく、
何かを少しずつでも、「今日はあしたとは違う」という変革の気概を持ちましょう。
現実には、必死でおろおろと動き回り、足掻くいて、嘆いて、何かに祈るのだとしても。
その過程で何かが見えてくるはずです。
自らが何を護らねばならないのか。
自らは何を信じればいいのか。
昨年の経済危機に際して、政府要人や経済学者、アナリストなどからはは、
「回復には2年を要する」という論も聞こえました。
だとすれば、今年はちょうどトンネルの真ん中。真っ暗です。
しかし、出口のないトンネルはありません。
明けない夜もありません。
もう一度言います。
「今日はきのうの続きでも、あしたは今日の続きではない」。
「雨が降るまで、雨乞いをすれば、必ず、雨が降る」。
せっかくの新年ですが、楽観的なことは書けませんでした。
この厳しい年を、強く意思を持って生き抜いていきましょう。
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2009.01.05
2009.01.13
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。