2004年、世界一多くのビールを集める店としてギネスから認定されたデリリウムカフェ。その記念すべきアジア第一号店は、事業責任者・菅原氏の緻密な戦略と大胆なアクションから生まれた。
第1回 「変なことやるのがナンバーワンへの近道」
■原点はラ・サールでのバク転
「こう見えて僕もかつては小さな田舎で神童と呼ばれていたんですよ(笑)」
菅原氏は北九州出身、地元では塾を飛び級するほど利発な小学生だった。そして、半ば当たり前のように九州各地からえり抜きの秀才が集まる名門ラ・サール中学に進学する。
「ところがラ・サールの寮に入ってすぐでしたね、いかに自分が井の中の蛙だったかを思い知ったのは。世の中には本当にすごい奴がいるんだなあって。超・頭がよくて、兄弟全員ラ・サールで主席とか東大医学部みたいな人がいて血筋からして違うか、こりゃ逆立ちしたって勝てないなと。だから12歳にして早くも勉強での勝負には見切りをつけました」
とはいえ白旗を掲げて全面撤退したわけでもない。そのままでは中学高校の6年間が暗黒時代になってしまう。何か挽回のチャンスはないかともがく菅原氏の目に飛び込んできたのが、クラスメートがバク転する姿だった。
「これだってひらめいた。そいつより僕の方が、運動神経がまだいいと思った。それなら僕だってバク転ぐらいできるはず。そして、ここが大切なんだけれど、バク転のできる奴はそうはいません。バク転って体操競技だと一番簡単なA難度なんですけどね。早速体操部に入ってひたすら練習しました」
やがて完璧にマスターした菅原氏が級友たちの前でバク転を披露すると、一躍みんなから注目を集めるようになる。そのとき得た気づきが、いま起業家となっても続く考え方の原点となった。
「要するに、たいていの人がやらないような変なところで勝負するってことです。自分には土俵はある程度マイナーな方がいい。マイナーでもそこで勝てば、自分が一番じゃないですか。一番は注目をあびる。」
この気づきは、数学者・秋山仁氏の講演を聞いてさらに確固とした信念へと凝縮されていった。
「講演なんて、ふつう寝るでしょう。でも、さすがにあの秋山仁さんならって珍しく聞いてたんです。内容はほとんど覚えてないけれど、ひとつだけ強烈に突き刺さった言葉がありました」
秋山氏は次のように語ったのだ。『僕が数学者としてやっていられるのは、誰も研究しないようなことを一生懸命に突き詰めたから。競争相手がいないからナンバーワンになれたんだ。君たちはみんな東大に行って似たような所で競争するより頭いいんだし、せっかく頑張るならナンバーワンをめざして人がやらないことをやった方がいいよ』
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FMO第16弾【デリリウムカフェ】
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