現代はIT社会。ありとあらゆるデジタル機器にソフトウェアが必ず組み込まれている。プログラムあるところ、必ずバグも存在する。そこで必要不可欠な作業となるのがデバッグだ。日本唯一・デバッグ専業企業として上場を成し遂げたデジタルハーツ社の軌跡を辿る。
最終回 「Checked by Japanで世界を目指す」
■突如の業務打ち切り
「本来なら我々のスケールをはるかに超えた大仕事でしたが、結果的に業務自体は実にスムーズに進めることができました」
デバッグのプロとして培ってきたノウハウは、大がかりな仕事でも着実に成果を出した。この時点ですでにデジタルハーツ社には、デバッグ業務をチームで進めるためのマニュアル化ができていたのだ。だから業務は極めて効率的に進んだ。
「プロジェクトがスタートしてしばらくした頃に相手先の海外本社さまから、質問が来ました。向こうでは考えられないような不具合を、日本でどんどん見つけている。しかもレポートがわかりやすくてプログラマーからの評価も高い。一体、日本ではどんなやり方をしているのかと」
本社からお呼びがかかり、陣頭指揮を取っていた若狭氏がわざわざ海外まで出向くことになる。そこで氏が気づいたのは、デバッグ作業に対する日本人の適性だった。
「徹底的にきめ細かく、決して気を抜かずにチェックする。これは日本人ならではの感性なんですよ。さらに我々のスタッフはみんな、ゲームが大好きで、何とかゲームに関わる仕事をしたいと望む若者ばかり。社会的には誤解されやすいんだけれど、彼らはびっくりするぐらいにまじめでもある。そんな彼らの熱意が成果に出るんですね」
▲若狭氏が当時、大口の取引先だった企業の海外本社に呼ばれたときのスナップ。
ところが好事魔多しとはよく言ったもので、その巨大プロジェクトはまったく急に打ち切りとなった。もちろんデジタルハーツ社に何らかの非があったわけではない。
「要するに本社さまの方針であり、決定事項とのことでした。品質管理は今後、すべて本社さまで管轄する。従ってチームは解散。あまりにもいきなりのことで、我々にとっては急転直下、死活的な危機となりました」
当時の売上は7割をそのプロジェクトに依存していたという。オフィスを借りたのも、人員を一気に増やしたのも、すべてプロジェクトが前提条件となっている。大前提がいきなり崩れ去るのだから、一種のパニック状態になってもおかしくない。
「猶予期間は4ヶ月ぐらいだったでしょうか。その間に何とかしないと間違いなく倒産です。急激に規模を拡大してしまっていたので、売上に穴があくと一気に運転資金がショートすることは目に見えていました。また宮澤と私で必死の営業作戦が始まりました」
■災い転じて福と成す
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FMO第14弾【株式会社デジタルハーツ】
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