奇跡を連発する出版社がある。年間8万冊、一日平均で200冊以上もの本が世に出る中、確実にスモールヒットさせているミシマ社だ。しかも同社は業界の常識を破り、取次を通さず本を流通させている。ミシマ社の一見型破りに見える逆転の発想を探る。
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ミシマ社の処女作。
鳥越俊太郎氏が解説する日本の歴史に、
しりあがり寿氏がマンガをつけ、コラムも書いた。
■いちばん苦しい時の決断
「まず踏み切ったのが直販へのシフトです。出版社が編集と営業の両輪で回っていることはよくわかっていました。ただ、立ち上げ当初は自社で営業マンを抱える余裕がないから外部委託に頼ったのです」
委託先に対する評価が低いわけでは決してない。むしろ、高い。ただ、あくまでも外部である限り意思疎通には限界がある。しかし編集と営業が両輪となって回ってこその出版社である。基軸となる両輪にごくわずかとはいえ違いがあれば、スムーズに前へ進めないのも道理だ。
「お金がなく、先行きも見えないどん底のタイミングでしたが、ここを何としてでも乗り切れない限り先はないと考えて決断しました。営業マンの募集に踏み切ったのです」
幸い、すぐに応募があった。しかも、応募してきたのは取次にいる人間である。本の流通を知り尽くした人間を招き入れることができたのは、その後のミシマ社にとって大きなアドバンテージとなった。そして直販に踏み切る。
「うちは直販でやりますからと書店にあいさつに行きますよね。すると、嫌がるところも結構多いんですよ。書店にとっては面倒が増えるだけですから。でも、中には取次からの配本に満足していないところもある。そういう書店からはとても励まされました」
一方で現金を回していくために始めた編集プロダクション業務は、確実に経営の一助となった。三島氏のこれまでの編集経験が実ったのだろう、順調に仕事が入ってくる。
「何とか年を越せて、何ヶ月かしてようやくですよ。これで、もしかしたら回していけるかもしれないと思ったのは」
少しずつ回り出したミシマ社は、翌2007年に第二ステップを迎える。社員が6人になった。同時に、2冊の本がスモールヒットとなったのだ。では、なぜミシマ社の、三島氏が作る本は受け入れられるのだろうか。
▼ミシマ社現在のオフィス風景
ごく普通の民家に、ごく普通に机とイスを置いてオフィスとして使っている。
⇒次回「本はマーケティングでは作れない」へ続く(全四回)
『株式会社ミシマ社関連リンク』
・株式会社ミシマ社
http://www.mishimasha.com/index.htm
・ビジネス専門パブリッシング。ビジパブ
http://www.bijipub.jp/
・株式会社ミシマ社のblog
http://blog.mishimasha.com/
◇インタビュー:竹林篤実/坂口健治 ◇構成:竹林篤実
◇フォトグラファー:大鶴剛志 ◇撮影協力:㈱オンボード
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FMO第13弾【株式会社ミシマ社】
2008.09.02
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2008.08.12