奇跡を連発する出版社がある。年間8万冊、一日平均で200冊以上もの本が世に出る中、確実にスモールヒットさせているミシマ社だ。しかも同社は業界の常識を破り、取次を通さず本を流通させている。ミシマ社の一見型破りに見える逆転の発想を探る。
第1回 「天職との出会い」
■イチローのような編集者
「普通にやったら3年かかるって言われてました。それなら僕は、絶対1年で一人前になったるって思ったんです」
大学を卒業して三島氏が就いたのが書籍編集、極めて専門性の高い職業だ。独り立ちするまでに身につけるべきことがいくつもあり、学んだ技術を使いこなすためには経験を積まなければならない。一人前になるのには早くて3年というのが業界の相場だった。
「実は僕、大学ではあまり勉強してなかったんです。学校に行くより旅で学んだことのほうが多いと思います。実際、入社式の数日前に中国から帰って来たような次第でしたから。向こうではわすかに1元(=当時約10円)を争って、中国人とケンカするような貧乏旅行をしていたので、いきなりの東京はギャップが大きかったです」
学生時代を旅に過ごした三島氏にとって就職は、まさに未知との遭遇。果たして、自分のようななまけものに仕事が勤まるのか。不安を抱えながらの社会人生活スタートとなった。
「ところが会社に入って、すぐにわかりました。編集は、僕にとっての天職なんやと。やっていて楽しくて心の底から打ち込める、精一杯がんばらなきゃと自然に気合いが入りました」
自分で考えた企画をカタチある本に仕上げて、その内容を世の中に問う。企画の善し悪しは発売部数としてはっきりとはね返ってくる。数字に自分の能力が反映される。
←【2001年7月発刊:「インターネット的」】
キャリアの浅い時代、三島氏が思いをこめ、全力でつくった一作。
その後、100冊を超える本を手がけてきた三島氏だが、
特に忘れられないのが、糸井重里氏のこの一冊だという。
「めっちゃおもしろいと思い、完全にのめり込みました。そこで目標を立てたんです。何としても1年で独り立ちしてやると。それからは土日も関係なし。一日中仕事をしているか、勉強をしているかのどちらかで、ほとんど編集修行僧みたいな毎日を送っていました」
もともとせっかちな性分だった三島氏をさらに駆り立てたのは、上司の存在だ。曰く「まるで女性版イチローのような」副編集長がいたという。
「実際に彼女のことを出版界のイチローなどと呼ぶ著者もいました。企画の切れ味から、段取りの付け方、著者をはじめとして周りにいる人とのコミュニケーション力までがケタ違いにすごい。それでいながら部下に対しては偉ぶるところがまったくない。僕なんかの未熟な企画でも、その思いをきちんとすくい取ってくれた上で、ロジックを詰め切れていない部分に自然に気づくよう導いてくれるんです」
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
FMO第13弾【株式会社ミシマ社】
2008.09.02
2008.08.26
2008.08.19
2008.08.12