しばらくの間、妻子とともに実家へ帰省していました。ある日の夜、少し酩酊していた(僕の)親父がトイレから出るドアを開けた瞬間、そこに(僕の)子どもがいて 「ゴツン!」 と戸に頭をぶつけてしまいました。 ワンワン泣き叫ぶ我が娘。
僕の場合。
自分の理解が起きた過程を一生懸命説明しました。
しかし「謝る」という行為をしませんでした。
「謝る」と、僕の方が(一方的に)悪いと思っているような誤解を与えかねなかったのと、はっきり言えばクリアーに理解してくれるだろう、という、相手の姿勢に対する信頼から。
僕自身、表面的に謝る行為をされると、逆に「自分を作っているでしょ、あなた」なんて思うものですから…
より信頼関係を築きたいがために、あえて謝りませんでした。
それが真摯だと思ったのです。
この数日の間で、「ごめん」と言う言葉についての意義を考えさせられた出来事がこうして2件。
「ごめん」と言える謙虚さが必要なときもあれば、「ごめん」と言わない真摯さが必要なときもあるなあ、と感じました。
自分の自然な行動の中で、この2つが峻別できているような人間になりたいものですね。
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