現代哲学の使命:『哲学概論』下巻 まえがき

2026.10.31

ライフ・ソーシャル

現代哲学の使命:『哲学概論』下巻 まえがき

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/ニーチェやフコー、デリダを読んで、喜々としてかれらをありがたがって人に紹介しているようでは、かれらの主張をなにも理解していないのだろう。哲学は、面倒で厄介な現実研究を避け、知的俗物たちがただ狭い部屋で仲間内だけで集まって、安全安楽なソファの上で難解で無意味な言葉遊びの座談に興じる、吹きだまりの場の慰みのおもちゃではない。/

 たしかに、かつて人間が自然に一体となって、無心に働き、楽しみ、暮らしていたころは、なにも考えなくてもよかったのかもしれません。しかし、近代になると、人間は自然の上に人工的な都市社会を形成するようになりました。すると、義務だの、権利だの、所有だの、実態も定かではないものごとが爆発的に増大し、精神だか、倫理だかで、人々を強要する「疎外」、その自縄自縛が大きな問題となります。ここにおいて、自分自身においてすら、ただ心ばかりが無限に肥大して、思うとおりの物理的肉体、社会的身分ではないことを思い悩み、自分の固有の存在をみずから捨去り、匿名無名の暴徒大衆の群れに溶け込むことで万能感に浸る、などという病態も生じてきました。

 だから、哲学も、牧歌的に自然や世界を語っていられた時代は終わり、人間の薄暗い心理や、社会の不合理な軋み、自分が生きているという闇にも目を向けなければならなくなりました。ところが、哲学は、そういう面倒で厄介な現実研究を避け、知的俗物たちがただ狭い部屋で仲間内だけで集まって、安全安楽なソファの上で難解で無意味な言葉遊びの座談に興じる、吹きだまりの場の慰みのおもちゃともなってしまいました。

 そもそも哲学が、知の探求がなんの役に立つのか。残念ながら、まったくカネにもならず、さしてなにかの役に立ったりもしないでしょう。むしろなにも思い悩まず、ただ喰って寝て、安楽に暮らしたほうが幸せかもしれません。しかし、本来の哲学は、知ったかぶりの暇つぶしの雑学などではありません。ただ過去の哲人の生没年と片言隻句を書き並べて学んでも、自分の知も心も、すこしも豊かにならないのは当然のことでしょう。

 知りたいのは世界そのもの。世界のすべてが知りたい、このファウスト的野望こそ、哲学の夢です。もちろん、有限の人間が生きてそんな大それたことをなしとげられるわけではない。それでもなお広い世界、暗い現実と向き合い、目をこらして霧の中に自分の進むべき方向を探る、それが哲学です。あの山の向こう、この海のかなた、むかしここになにがあり、やがていつかなにになるのか。たしかに人は、人生も能力も有限ですが、その想像力は、宇宙の果て、時空の裏側まで思い描くことができる。ハックルベリーのように、いま手元にあるかぎりのものを筏に乗せ、歴史の大河に漕ぎ出す。きっとその向こうに自由の街があると信じて。

 人が暮らすところ、そこにはどこでも哲学があります。ここで野菜を作ろう、この石で家を建てよう。人の心は、つねにいまの向こうを見ている。だから、むしろ本に書き留められた思想など、机上の作りものにすぎない。多くの人々は、そんなものを書く間もなく、いまより先をいつも考えてきた。にもかかわらず、近代は、病的に肥大するヨーロッパの男たちを中心に、人間的な知性からはもっとも遠い野蛮な武力で無言の人々を押し潰し、世界中を自分たちの空理空論で染め上げてきた。その砂上の城の下、女性は家畜のように所有され、アフリカや南米、アジアの人々を野獣や奴隷として搾取してきた。

 ここにおいて、ソクラテスやパウロを源流とするヨーロッパ哲学や中世キリスト教こそ、むしろじつはマチズモ(力権優位)、ミソジニー(女性嫌悪)、ゼノフォビア(外人恐怖)の元凶でした。理性と摂理の名のもとに、人間の感性と想像力を弾圧してきた。にもかかわらず、その妄想の世界観の中で、人々は、これらこそが先験天然の理だ、と盲信させられてきた。しかし、地球が丸く、宇宙が果てしないことを知った現代において、世界に中心などあろうはずもありません。だから、現代において、哲学の使命は、どこか遠くを目指す以前に、まず我々を縛り付けてきた、そしていまも我々の間に潜んでいるヨーロッパ哲学や中世キリスト教の解体破壊に向けられることになりました。

 自由は、ここにある。自由を求めるなら、ここからどこか遠くへ行くのではなく、まず、ここを、自分自身を解き放つ必要がある。そうでなければ、どこへ逃げても、自分とともに過去の軛がついてまわる。だから、いま、哲学では、これまで権威として学ばれてきた哲学や思想、信仰を疑い、その呪縛を解体破壊することが求められています。繰り返されるトラウマ(悪夢)を消し去るためには、それから目を背けるのではなく、むしろそれを直視し、自覚し、指で丸めて弾き飛ばす必要がある。棄てるために学ぶ、すこし奇妙ですが、現代の哲学は、いま、そのことが求められています。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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