/世界が存在するという考え方自体が怪しいと疑い、私たちの世界観の向こう側には、じつは意味や合理性ところか、なにも無い、と考える哲学者もいた。それがニヒリズムだ。/
1805年にナポレオンがドイツを占領すると、ハンブルク市で商社を経営していたショーペンハウアー(1788-1860)の父は自殺しました。彼の家族はばらばらになり、財産も失われました。ベルリン大学で彼は著名なフィヒテに学んだものの、失望しただけでした。あのナポレオンさえ去り、すべてが幻のように消えてしまったのです。それでショーペンハウアーは、1813年の学位論文で世界の合理性を問い、それを、存在部分、生成原因、認識証拠、行為目的の四つとして分析しました。
「彼は変革の時代に生きていた」
ウィーン復古体制が始まり、ドイツの小金持ちたちは、インド文化、とくに、質素なビーダーマイヤー趣味のインド綿織物に関心を高めました。ショーペンハウアーもインド哲学に惹かれました。人は、かつてブラフマンとして宇宙と一体だったが、いまはマーヤー、すなわち私的な幻想のベールによってアートマンへと個別分断され、閉じ込められている、と、それは言います。この考えで、彼はカント的主観にも否定的になりました。
「彼はベートーヴェンやフォイアーバッハの先駆者だったのかも」
偽りのマーヤーは、自分がほんとうは何であるかも知らないくせに、自分として生きようとする意志によって捏造されます。これは、自己同一性に基づくフィヒテやシェリング、ヘーゲルの思想の否定を意味しました。にもかかわらず、ショーペンハウアー(30)は、1818年に『意志と投影としての世界』を出版し、その中で、整合的な合理性への依存こそが、すべての問題の根本原因だ、と主張しました。
「それって、ヘーゲルがベルリン大学の教授になるちょっと前でしょ。そんな著書は、彼を窮地に追い込むことになるでしょうね」
彼はまず、先の合理性四原理を再考しました。存在部分はただの整合性であって、存在を証明するものではない。生成原因は、むしろ主観性に属している。認識証拠は、証拠と主観の間に因果関係を適用する誤りだ。残るのは行為目的だけだが、目的は主観的意志によって現実に先行し、だから、実践においては、私たちはいつも実際の結果もわからないまま、飛躍として行動を起こさなければならない。
「でも、カントはそこに自由の余地を見出したんでしょ」
次に、ショーペンハウアーは、世界観が不協和な意志によって構成されていることを明らかにしました。自分自身の意志を基礎に、主体は、あらかじめ妄想世界をでっち上げる。身体はその中での意志のアバターだ。なぜそうしたいのかもわからないまま、ひとは具体的目的を設定するが、しかし、妄想世界は意志同士がぶつかる戦場となる。石ころから国家まで、あらゆるものの背後に未知の意志が存在するからだ。闘争によって阻まれ、どの意志も、自分の欲を実現できない、と。
「架空世界の中で自分のアバターを戦わせるなんて、まるでゲームだな」
しかし第三に、多くの枝が同じ幹を持つように、これらの意志は、じつは同一のものだ。なのに、どうして私たちは意志の闘争に苦しまなければならないのか? それは、そもそも私たちの世界観が、自分の私的意志で歪められているからだ。だから、私たちは直観で世界の真の姿を認識する必要がある。その方法とは、芸術だ。芸術家は世界を直観し、それを作品に表現する。しかし、現実世界は、私たちとは独立の独自の意志を持っている。だから、たとえ芸術が現実世界を示しても、私たちの私的意志はあいかわらず挫折する。
「たしかに彼もシュライアーマッハーやベートーヴェンのようなロマン主義者だったけれど、芸術なんか一時的な慰めにすぎないと考えた」
それゆえ、第四に、私たちは私的意志そのものを消滅させるべきだ。富も貧困も、生も死さえも、あらゆる私的な生への意志は無意味だ。なぜなら、それらは、同じ大きな世界意志の枝葉末節で、それらが競争しても、結局、なにも変わらないからだ。だから、多くの宗教が言うように、むしろ私的な生への意志を捨て去ってこそ、心の平安が得られる、と、ショーペンハウアーは考えました。
「結局、彼も、ヘーゲル主義者のように、世界理性がすべてを支配している、と考えていただけ?」
とはいえ、ショーペンハウアー本人は、実際はそんな平安とは程遠い人物でした。母親とケンカし、女中をレイプし、この本をめぐって出版社とも争いました。せっかくベルリン大学の私講師になれたのに、あえてヘーゲルと同じ時間に講義したりするから、学生を集められませんでした。こうして、彼はこの本とともに忘れ去られました。
「でも、その後、近代人の分断を考えるなら、みんな彼の本を読むことになるよ」
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。
哲学
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大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。
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