大学という組織:舵の無いタンカー

2026.06.14

組織・人材

大学という組織:舵の無いタンカー

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/学問の自由、とか、大学の自治、とか言うが、学校法人は、自由自治すぎて、とりあえず既存組織を無難に存続運営する、という以上のモーティベーションも働かず、そもそもなんのための学校創設だったのか、を見失い、主導権争いと責任逃れに明け暮れ、だれもがただ人間的な軋轢に疲弊する。/

 昨今、少子化だ、予算不足だ、と、あちこちの大学から悲鳴が聞えてくる。自分たちで改革でも、合併でも、廃校でも、どうにかすれば良さそうなものを、と世間は言うが、そう簡単ではない。

 大学というと、世間は、理事長や学長がトップで、なんでもできる、と思うかも知れない。いや、実際、かなりのデタラメでも、できてしまったりすることもある。しかし、逆に、理事長や学長でも、じつは、どうにもできない場合も多い。

 そもそも大学とは何か。法理的に言うと、財団の一種だ。つまり、財産の塊。創設者個人や後援財閥、父母会が、独自の教育理念を実現するためにカネや土地を拠出してできたもの。株式会社と違うのは、この財団は、拠出した後、いっさいの紐付きの所有権を免れている独立法人格だ、ということ。こうして「学校法人」という、行為能力や取引能力を持った法人格が自立する。

 とはいえ、財産が自分でなにかできるわけがない。そこで、この財産の塊は、管財人、後見代理人としての「理事会」に委ねられる。ここに理事長がいて、法人としての対外的な代表権を持つが、理事会は、あくまで理事たちの多数決で運営されるべきものであって、理事長にも理事会の決定権は無い。

 しかし、理事会は、あくまで財団としての学校法人の管財人にすぎない。実際の教育研究業務は、この学校法人下に、大学や高校、幼稚園や研究所がぶらさがり、それぞれに学校長が置かれる。つまり、株式会社で言えば、理事会が取締役会、大学などの学校が執行機関になる。一般的には、言わば執行役員として、各学校長も評議会によって理事に指名され、理事会の一角に加わって、その議決権を持つ。しかし、逆に言うと、法理的には、各執行機関は学校長を通じてのみ理事会にぶらさがっているのであって、個々の理事、たとえ理事長と言えども、理事会決議や学校長を通さずに、個々の学校の内部に直接に指示命令を出す立場には無い。

 また、そもそも理事会も、独立法人格の学校法人そのものではなく、学校法人を所有しているわけでもない。株式会社であれば、取締役会ではなく、企業の所有者たちによる株主総会が最高決定機関なのだが、学校法人は、所有者が存在しない。そこで、これに代わるものとして「評議会」がある。評議員の決め方は、学校法人によっていろいろで、もともとの拠出者たちだったり、同窓会や後援会(父母会)、教職員だったり。まともにきちんとオープンな選挙をするところもあるが、前任者による後継者指名だったり、同窓会や後援会、教職員の役職者の互選だったり。いずれにしても、この評議会こそが、学校法人の最高議決機関であり、理事の指名も、この評議会によって行われる。

 しかし、ドライな株式会社と違って、学校法人のここが危ういところ。理事長支配の学校法人では、オープンな選挙選出を嫌い、理事長が同窓会や後援会、教職員の役職者を評議員として「推薦」し、これらが評議会を構成すれば、自分のオキニたちが理事として指名され、自分もまた理事会で理事長に指名される。監査も同様だから、ノーチェックの独裁が可能。上場株式会社のように敵対的買収を喰らうこともなく、いわば自分たちの別腹財布として、学校法人という財産の塊を、資産税も相続税も無しに、安泰に長期保有、世襲委譲できる。もちろん、たとえ理事長支配であっても、ほとんどの学校法人は誠実に運営されている。しかし、まれにおかしな人物が理事長になって学校法人の財産を不正流用しても、組織内部には、もはやブレーキが無い。

 また、逆に、新たに理事長になった人物が、学校法人を大きく改革しようとするのも、ムリ。上述のように、理事長は理事会で選ばれるが、その理事たちは既存の同窓会や後援会、教職員の役職者からなる評議会から指名される。これらの評議員たちが、自分たちの既得権を崩すような改革を歓迎するわけがなく、理事に守旧派を多く指名して、理事会内で理事長を孤立させ、追放することが、かんたんにできてしまう。

 ただ、大学の場合、教育研究機関として、学部単位で「教授会」もある。かつて大学が独立教授の連合体だったころの名残りで、講座制の場合、各講座を持つ教授のみの合議機関だったが、近年は学生教育に重点が置かれ、複数の教員が所属する学科制が主流となり、これとともに教授会も、教授だけでなく、准教授や助教なども議決権を持つようになってきた。しかし、学長と教授会の関係は微妙で、かつては学部単位の意志決定能力を持っていたが、現行の学校教育法では、各学部の教授会は、複数の学部を束ねる学長に付随する諮問機関にすぎず、学長に一面的な意見を述べるに留まる。とはいえ、昔ながらに学部長を教員選挙で選ぶような大学では、さらに学部長の互選で学長を選ぶところもあり、そういうところでは、教授会を軽視できない。しかし、理事会が学部長互選で選ばれた人物を学長として指名せず、選挙結果と反する人物を学長に任命したりして、教育現場と大きく紛糾する、ということも起こりうる。

 学問の自由、とか、大学の自治、とか言うが、いちばんの問題は、理事会も、評議会も、教授会も、学校法人としての創設理念を担保する権能を持たない、ということ。企業であれば、定款で業務が決まっており、経営結果は、収益や資産、株価として成否が明示される。しかし、学校法人は、自由自治すぎて、とりあえず既存組織を無難に存続運営する、という以上のモーティベーションも働かず、資産収支や志願者数くらいしか成果評価基準も無い。それで、そのうち、ひたすら世評の人気を追い求めるようになり、そもそもなんのための財団への資本拠出だったのか、などという話はどこかへ吹き飛び、主導権争いと責任逃れに明け暮れ、なんともならないまま、経営上層も、教育研究現場も、ただただ人間的な軋轢に疲弊する。

 だから、強烈なカリスマ性のある教育者が生きて創設者であり理事長であるうちはいいが、一族世襲だろうと、教員自治だろうと、それより後は、方向舵を失った巨大タンカーのように、頭も心も無い財産の塊がただ突き進むのみで、どこへ向かっているのか、だれにも制御できなくなる。

純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒(インター&文学部哲学科)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元東海大学総合経営学部准教授、元テレビ朝日報道局ブレーン。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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