「人的資本経営」(1) 改めて、チーム日本の人的資本経営のあり方をつくるべき

2025.04.17

経営・マネジメント

「人的資本経営」(1) 改めて、チーム日本の人的資本経営のあり方をつくるべき

村上 和德
ハートアンドブレイン株式会社 代表取締役社長

大手企業を対象に義務化されている「人的資本経営」について、欧米からの伝授された人的資本経営ではなく、日本人にこそふさわしい人的資本の在り方を考えます

こうして制度的な土台は整ってきたものの、明確な人的資本の定義がないままにスタートしたことによって、特に企業現場での理解や具体的な運用の進展は中途半端な印象となっているようです。

人的資本経営はどこまで進んでいるのか

人的資本の形成の歴史は、人間が初めて機械と共に働いた産業革命の労働者育成から始まったと僕は考えています。1908年にヘンリー・フォードがT型フォードの大量生産に成功し、産業界は一変しました。ベルトコンベアの上を製品がゆっくり流れていき、その周りに人間が張り付いて作業する。機械のご機嫌を取るために油を差し、具合が悪くなった部品を取り替える。このイメージでいくと人間は機械以下の存在で、むしろ機械の機嫌を取るための人間を作ることから、人的資本経営の歴史が始まりました。

ここで、パーソナルマネジメント(PM)とヒューマンリソースマネジメント(HRM)という2つの考え方をあらかじめ区別しておく必要があります。パーソナルマネジメントの哲学は「人は代替性がある」という考え方に基づいているため、「人的資本管理」になります。簡単に言うと、使えない人材をレイオフして、使える人材に容易に入れ替えできること。それでは労働者にとってあまりに酷なので、一生懸命働いても報われない労働者を救済するために、団体交渉権やストライキといった権利が法律で認められるようになったわけです。

日本では、1947年以降に労働三法が制定されてから人的資本経営の歴史が始まりました。僕が人的資本経営という言葉があまり好きではない理由に、そもそも日本は資本主義の歴史を辿ってきていないという持論があります。資本も資源もなかったからこそ戦争という手段を選び、唯一持っていた精神力だけで勝とうとして、資本を持つ国に負けた。いわば資本主義の戦争を人本主義で戦って負けたわけです。戦後、資源も資本もなく、日本には人的資本しか残されていませんでした。だからこそ僕は、日本は人本主義で復活したのだという思いがあります。

チーム日本の人的資本経営

ところが、本来「チーム日本」は人本主義を得意としていたはずなのに、いつの間にか得意ではなくなってしまったようです。1960〜70年代、日本は機械を中心とした産業革命的な経済成長がうまくいきすぎて、世界から厳しい対応を迫られ、その反動で今度は弱すぎる日本になってしまいました。そして、それから34年にもわたるデフレに苦しむことになったのです。このままデジタル社会でハイパフォーマンスを発揮できる人材を育てられないと、先進国でありながら、GDPも一人当たりGDPも下がり続ける老人国になってしまうのではないかと、今更ながら政府は人的資本経営に取り組み始めました。

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村上 和德

ハートアンドブレイン株式会社 代表取締役社長

1968年、千葉県生まれ。東海大学法学部卒業。 英国国立ウェールズ大学経営大学院(日本校)MBA。 新日本証券(現みずほ証券)入社後、日本未公開企業研究所主席研究員、米国プライベート・エクイティ・ファンドのジェネラルパートナーであるウエストスフィア・パシフィック社東京事務所ジェネラルマネジャーを経て、現職。

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