/根本にあるのは、生存意志、つまり自己本位の欲で、事実の認識なんて、それに合うように捏ち上げられているだけ。どんな物語(世界)を出してきたところで、どれが「正しい」かは、力づくで強引に決めつけられるだけ。結局、だれかが納得せず、永遠に物語の闘争が続くだけ。しかし、物質的自然そのものも生存意志を持っており、暴力的かつ無目的に歴史を紡ぎ出していく。/
結局のところ、人は、それぞれ自分に都合のいい、自分勝手な筋書きの世界を生きている。なぐったのか、手が触れただけか。業務指導か、パワハラか。事故か、殺人か。まして、ガンをつけた、とか、無視した、とか、なんとも受け取り方次第。こんな藪の中の話は、日常茶飯事だ。そこに裁判官が出てきたところで、また別の、もっともらしい筋書きの物語を上に乗せるだけのこと。
ショーペンハウアーが言うのは、まさにこのこと。人の根本にあるのは、生存意志、つまり自己本位の欲で、事実の認識なんて、それに合うように捏ち上げられているだけ。どんな物語(世界)を出してきたところで、どれが「正しい」かは、力づくで強引に決めつけられるだけ。結局、だれかが納得せず、永遠に物語の闘争が続くだけ。しかし、どんな人が物語を立てようと、物質的自然そのものが統一的で創発的な生存意志を持っており、個々の人間の物語などにかかわらず、暴力的かつ無目的に歴史を紡ぎ出していく。
ショーペンハウアーという思想家は、大きな思想の潮流の中で理解しなければならない。カント(1724~1804)が『実践理性批判』(1788)で広大な実践問題を提起して、フィヒテが(1762~1814)が『全知識学の基礎』(1794)で事行、すなわち、事実は活動でできる、と、自我の主体性を俎上に乗せた。しかし、シェリンク(1775~1854)は『超越論的観念論の体系』(1800)において、同一哲学として、世界は、物質的なものから精神的なものまで、物質的で精神的な、さまざまな程度の芸術によって一体になっている、とした。これを闇夜の黒牛と批判して、ヘーゲル(1770~1831)は、『エンチクロペディ』(1807年)で、精神的な理念がさまざまな物質的な具体例を経験することによって、充実していく、と力動的な弁証法を基礎に据えた。
ショーペンハウアー(1788~1860)は、フィヒテやシェリンク、ヘーゲルの影響を受けながらも、後に、これらを批判。ヘーゲルを反転させ、むしろ物質的自然そのものが、統一的な生存意志を持っている、という唯物論の先駆けとなる。それが、彼の『意志と表象としての世界』(1819)。これをもって、ベルリン大学で、大御所ヘーゲルと張り合おうとしたが、当時は、まったく無視され、その後、隠遁してしまう。ところが、この後、ヘーゲルの弟子筋だったフォイアーバッハ(1804~72)も、『キリスト教の本質』(1841)で、神(理念)は人間の理想の投影にすぎない、として、ショーペンハウアーの表象論と唯物論を採り入れ、さらに、マルクス(1818~83)は、『共産党宣言』(1848)を皮切りに、唯物論にヘーゲルの弁証法を織り込み、物質的自然、つまり、文明(生存意志、生産力)が自己発展していく、という史的唯物論を打ち立てる。
哲学
2023.05.28
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2024.05.29
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。