ひとくちに「仕事が楽しい」と言っても、それが「情」寄りで楽しいのか、「意」寄りで楽しいのか性質の違いがあります。生産年齢者として50年、人間として100年生きるとき、この「情」ベースから「意」ベースへ、「快」の追求から「泰」の志向へのマインド・シフトともいうべき意識転換が重要ではないでしょうか。
そんな中で、自分は自分の能力と意志を使って、世の中に何を届ける存在になりたいのかという問いをつねに投げかけていました。そんなとき、運命的な言葉に出合ったのです。それは中国の古いことわざでした───
一年の繁栄を願わば、穀物を育てよ。
十年の繁栄を願わば、樹を育てよ。
百年の繁栄を願わば、人を育てよ。
「そうだ、自分が献身したいのは人の心を育む仕事ではないか。そして自分なりに考える教育の新しい方法・表現を世の中に届けてみたい!」と、一筋の光が見えました。その瞬間以来、仕事が貢献的・使命的な活動に切り替わり、「意的な楽しい」を志向するようになったのです。サラリーマンをやめて個人自営業になり、経済的には毎年ドタバタの奮闘が続きますが、心は「泰」となり、健やかな仕事生活が続きます。
人生100年間を「快」で埋め尽くすのは難しい
講義スライドでも言及したとおり、「情的な楽しい」と「意的な楽しい」でどちらがよいかわるいかの話ではありません。感情と意志はどちらも必要なものであり、その複雑な混合と相互影響によって人は動いていきます。ただ、それぞれの人において、その混ざり具合や優位性に個性があり、また、一人の人間でも人生のときどきで混ざり具合や優位性が変化してくるわけなのです。
一般的には、若いときほど多感であり、「情」優位の精神になるでしょう。「好き・嫌い」や「快い・気持ちいい」が行動を主導します。問題は中高年以降です。うまく成熟が進むと、「意」が優位となり、「正しい・正しくない」や「泰(やす)い・意味のある」が行動選択に大きな影響力をもってくるようになります。いわゆる思慮ある落ち着いた大人ができあがるわけです。私自身も多少このように順調に成熟できたのかなと思います。
ところが、中高年になってキャリアで悩んでいる、仕事生活でモヤモヤ感に覆われている人をみると、依然、「情」ベースで仕事に向き合っている場合が多いように見受けられます。命じられた仕事が好きになれるかどうか、自分の仕事ぶりはまっとうに評価されているかどうか、会社や上司のやり方が気に入るか気に入らないか、など。もちろんこうした感情的な悩みや不満はあって当然ですが、その次元に留まっているかぎり、キャリアは開けてきません。
「情」ベースの生き方は、基本的に受動的で反応的にならざるをえません。会社員として振られる仕事や立場は、ほとんどが経営側からの意思のもので、自分の「楽しい」にかなったものに当たることはきわめて稀です。また人間関係においても、多様な人が集まる職場において、「楽しく」付き合える人はそう多くありません。感情的に反応しているかぎり、「快」を得られないことばかりなのは当然です。
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2009.10.27
2010.03.20
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。