「ジョブ型雇用」という言葉をよく聞くようになった。中小企業も真似すべきなのか。本当にうまくいくのだろうか。難しいのではないかという疑問は、すぐに思い浮かぶ。
「ジョブ型雇用」という言葉をよく聞くようになった。
従来のメンバーシップ型と比較して言われる言葉だが、従来というかほとんどの会社は、まず人を採用し、そのなかで仕事を割り振る、いわゆる「適材適所」と言われる仕事の与え方だったし、今もそうだ。(当然、仕事が増えれば人も欲しいとなるが、採用はその仕事だけのために採用するのではない)
一方、ジョブ型は、最初に仕事ありきで、その仕事にあった採用や配置転換を行う、要は「適所適材」というわけだ。
「雇用>仕事」から「仕事>雇用」への転換とも言えるだろうか。
このジョブ型を採用すれば、「仕事内容はジョブディスクリプションで明確に規定されているため、出すべき成果が明確」「仕事、ポストありきの採用のため専門性の高い人材が集まる」「若手を抜てきでき、年功序列から脱却できる」などと、これからの未来はこれしかない、これさえあればコロナも怖くない的な万能施策と勘違いする人も多く、これまでのメンバーシップ型ではもうだめだといった論調も目立つ。
仕事の目標や到達点は、ジョブディスクリプションと呼ばれる仕事の定義書を結び、その内容に則して評価する。このジョブディスクリプション、古くから外資系企業ではよくつかわれており、目新しものではないのだが、ジョブ型の人材登用の言葉とともに、よく出てくるようになった。
イメージとしては、専門性の高い仕事に、プロが集い、仕事の成果は明確に定義され、プロの仕事をするといった感じか。
このコロナ禍で、否応なしにテレークやリモートワークとなり、仕事のプロセス管理が行いづらくなった。テレワークにおいて、いちいち仕事のこまかい指示を与えることも難しく、仕事は自分で見つけ、ある程度の裁量とともに、結果を出すことが求められ、その成果で評価をしようという流れになっている企業も増えてきた。
しかし本当にそううまくいくのだろうか。難しいのではないかという疑問は、すぐに思い浮かぶ。
まず、似たような概念のことが、前にもあり、結局失敗しているということ。
思い起こせば、約20年前にもてはやされた「成果主義」による人事考課もそうだろう。比較的平等な条件からの営業などは、まだ成果での査定はやりやすいと思うが、通常仕事の成果には、多くの人がかかわり、チームで動かすものであり、成果だけを人事考課にあてはめることが、多くの企業においてその後の人材育成や組織力の向上には結びつかなかったことを考えれば、このジョブ型にも疑問が浮かぶ。第一、成果だけで給与が決まるのであれば、少しでもいい条件の会社があれば、成果を上げた人はすぐに転職してしまうだろう。多くの人は仕事の結果と給与だけで働いているのではない。
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