物価の文化史①──日本酒・ウイスキーの価格の変遷

2019.12.23

経営・マネジメント

物価の文化史①──日本酒・ウイスキーの価格の変遷

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ものやサービスの値段は時代によって大きく変化します。さらに「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も変化します。それは社会の経済・流通の変化や技術的な進歩、政治的な要因にも影響されることもあります。 すなわち、物価は“時代の鏡”なのです。このシリーズでは、ものやサービスの価格の変遷を、さまざまな分野でたどっていくことにします。 今年も残り10日あまりとなり、忘年会・新年会のシーズン真っ盛りです。 最近、若い人はアルコールを余りたしまなくなった……という話も聞きますが、100年前に日本人はどんなふうにお酒を飲んでいたのでしょうか。今回はおもに、近代以降の日本酒とウイスキーの価格の変遷を追ってみましょう。

日本酒の国内出荷量は、170万キロリットルをピークに年々減少し、1998年には113万キロリットル、2015年現在55万キロリットルとなり、この10年で大幅に減少しています。その要因は飲酒人口減少のほか、食生活の洋風化、アルコール飲料の多様化、健康志向の影響などが指摘されています。その一方で、海外への日本酒の輸出は増えているのですが、こちらは日本食の海外へのプロモーションなどの影響もあるのでしょう。

ウイスキーの価格

クラウドファンディング,ソーシャルレンディング,マネセツ

ウイスキーが本格的に国産化されたのは、大正13(1924)年のこと。

昭和4(1929)年に発売された「サントリー・白札」は640ミリリットル瓶一本で4円50銭でした。これは1万円を超えるような価格であったと考えられます。
戦後の昭和30(1955)年にも、国産2級ウイスキーの640ミリリットル瓶は340円という記録が残っています。この金額を現在の価値に置き換えるとおおよそ数千円と考えられますが、その後、大きく大衆化することで価格は下がり、市井の人々に飲まれるようになります。しかしながら、まだまだ高級嗜好品のイメージは残っており、この当時、海外旅行のお土産として、海外ブランドのスコッチウイスキーがもてはやされた時代であったため、年配の方であれば、海外旅行に行った際に重い瓶をお土産として持ち帰った経験がある人も多いことでしょう。

この後、円高の影響もあり、輸入酒の価格は大きく下がりましたが、1983年をピークにウイスキーの消費量は下がっています。これは焼酎ブームなど他の安いアルコール飲料の台頭が、その大きな要因ともなったようです。「ハイボールブーム」によって現在はやや回復しているものの、全般的には市場は縮小傾向にあります。

一気に加速した、ハイボールブーム熱

今回は日本酒、ウイスキーの価格の変遷を概観してきましたが、唐揚げとハイボールのコラボを謳った大々的なプロモーションの一環に位置づけられたCMが思いの外の効果を発揮したほか、ニッカウヰスキーの創業者を取り上げたNHKの朝の連ドラの影響も手伝ってニッカが飛ぶように売れ、ハイボールブーム熱が一気に加速。

さまざまな要因によってウイスキー需要が急速に高まり、現在では国産ウイスキーの原酒不足が起きていています。そのため、国産ウイスキーメーカーが世界5大ウイスキーの原酒をブレンドした“新型”のウイスキーを新たに提案したり、ウイスキーの“代酒”としてスコッチを使用したハイボールを提案したりするなど、ウイスキー取り巻く環境がここ数年大きく様変わりしていることは周知の通りです。

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