ものやサービスの値段は時代によって大きく変化します。さらに「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も変化します。それは社会の経済・流通の変化や技術的な進歩、政治的な要因にも影響されることもあります。 すなわち、物価は“時代の鏡”なのです。このシリーズでは、ものやサービスの価格の変遷を、さまざまな分野でたどっていくことにします。 今年も残り10日あまりとなり、忘年会・新年会のシーズン真っ盛りです。 最近、若い人はアルコールを余りたしまなくなった……という話も聞きますが、100年前に日本人はどんなふうにお酒を飲んでいたのでしょうか。今回はおもに、近代以降の日本酒とウイスキーの価格の変遷を追ってみましょう。
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大正元年、上等酒一升の価格は1円(約1万円)
江戸時代中期以降、海運の発達によって物資の国内流通が大幅に発展した結果、兵庫・灘や京都・伏見の地酒を江戸の市中で飲むことができるようになりました。その当時、酒は樽から量り売りされるものだったため、庶民は5合徳利を下げて酒店に買いに行ったものです。
当時の単位は一石(180.38リットル)で、明治10(1877)年に一石9円8銭で売られたという記録が残っています。現代の貨幣価値で一升の値段に換算してみると、3000~4000円と考えていいでしょうか。ただし、これはいわば卸値ですから、市販時にはこの数倍であったでしょう。大正元(1912)年に上等酒一升の価格は1円でした。これも現代の貨幣価値に大ざっぱに換算してみると、約1万円ということになります。
日本酒が瓶詰めされて一升(1.8リットル)単位で売られるようになったのは昭和初期のこと。昭和10(1935)年の日本酒一升の値段は、上等酒で1円89銭、並等酒で1円でした。当時の小学校教員の初任給は50円ですから、やはり上等酒では3000~4000円程度だったと思われます。とはいえ、当時の給与水準、物価水準などを考慮に入れていない計算なので、「値頃感」ははっきりしないことを付記しておくことにします。
いずれにせよ都市の給与生活者にとっては、安いとは言えない価格であったと思われます。
日本酒の級別制度
明治4(1871)年には、すでに「清酒、濁酒、醤油醸造」に鑑札制度が敷かれ、収税の対象となっていましたが、昭和14(1939)年には「物価統制令」が出さるとともに酒類にも適用され、昭和18(1943)年には特級・一級・二級の区分が導入され税率が定められました。この級別制の導入は、税収の増加が目的でしたが、酒税は間接税の中でも重要な税源として位置づけられていきます。
戦後、昭和35(1960)年には統制価格が廃止され、昭和39(1964)年には、自由価格販売が始まります。この頃の特級酒一升の価格は940円、二級酒は485円。醸造法の変化などによって、大量生産が可能になったことも関係しています。
平成元(1989)年には級別制度が廃止され、「純米酒」「吟醸酒」「大吟醸酒」という区分に。これは白米の精製度が基準になっています。現在では、このほか「特撰」「上撰」「佳撰」という区分もありますが、現在の日本酒は、一般的価格が一升1000円から3000円前後といったところでしょう。もちろん、銘柄によっては一升1万円を超えるものあります。
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