ビジネスセンスというよりも、ビジネスパーソンとしての信頼度に大きく影響するのが、フェアプレーの精神だ。 普段から、フェアプレーの精神で仕事をしているだろうか。
組織が不祥事や問題を起こすたびに、「フェアな精神」は話題になり、コンプライアンスやハラスメントの防止など、主に法的なことに対して順守すること、そしてCSRとして、社会に役立つことなどを多くの企業は宣言するが、先ほどの中学生の言葉をどう感じるだろうか。
部活においても、「勝ちたい」「認められたい」という気持ちに変わりはないし、ビジネスだから大人だからという言い訳はない。
我々大人は、ビジネスで収益を上げること、あるいは組織のなかで抜擢されて出世することが最終目的になると、ライバルを出し抜き、勝つことが何よりも大切な価値観となってしまう。場合によっては、相手が負けることを狙ったりもする。
もちろん、ビジネスを行っている以上、自己犠牲だけでは継続しない。自分自身が成功をおさめ続けることが何より重要になる。他人を思いやるあまりに、自分の利益を常に放棄していたのでは、自分自身が続かない。
また、現在ブラック企業や格差拡大の現在においては、自己犠牲は第一優先とされるものではない。自己犠牲を払うがあまりに最悪の事態を招いているケースも少なくない。
また、現在のビジネスの環境は、1対1の関係や、単純な戦略の比較のうえに成り立つものではないことが多い。様々な利害関係者の複雑なニーズや思惑が絡み合った仕事ばかりだ。何がフェアでフェアではないかは、判断の分かれる場面も多い。自分がフェアだと感じても、相手はまったくアンフェアだと感じることも少なくないだろう。
だとすれば、常に自分の選択に対して、堂々と説明できること。判断した根拠を示すことができること、コミュニケーションの機会から逃げないこと、そして、対立する案が出た場合は、素直に対案を理解し、対話を重ねること。最終的なフェアの精神は、深いコミュニケーションと信頼関係からしか生まれない。
思いやる気持ちや感謝の気持ちは、能力の高さや自分に対する自信があってはじめて可能となる。自信なき自己犠牲は、Win-Winではない。
重要なことは、Win-Winとなる選択肢は常に変わるということ、戦略の変更を余儀なくされることもあれば、当初からとは思いもかけないような変更事項もあるかもしれない。
だから、常にフェアな選択ができるような判断基軸を持つことが重要となる。
フェアな精神は、誰もが中学生、高校生の頃には持っていた精神だ。打ち込まれた投手に、「どんまい、大丈夫!腕振っていこう」と声をかけて励ましていたことを忘れてはいけない。
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