私の平成金融史

2019.04.12

経営・マネジメント

私の平成金融史

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平成の時代が間もなく幕を下ろします。 筆者はまさに平成の時代を駆け足で走りました。 今回は為替市場、金利市場を中心に、そんな私の平成金融史を駆け足で振り返ってみたいと思います。

金利面から見る平成

金利面について検証すると、日本銀行は、平成時代には一貫して低金利政策を続けることになりました。
バブル崩壊から、企業に流動性を供給する使命を負うことになったのです。

下記のグラフ(出所:日本銀行)は1955年以降の公定歩合の推移を示しています。
クラウドファンディング,ソーシャルレンディング,マネセツ

これを見ると、戦後の高い公定歩合の歴史、そして1989年(平成元年)以降の急速に公定歩合を引き下げる日銀の金融政策の方針が明確に表れています。
バブル崩壊が始まったと言われる1991年(平成3年)には6%をつけ、それ以降は、日本経済の低迷と共に、日銀の苦戦が続き、そして2001年(平成13年)から0.1%というゼロ金利政策が続くことになるのです。

低金利とリスク管理の時代

1990年代、平成も中盤に差し掛かった頃から、金利を含めた金融界に生きてきた筆者としては、平成は金利で大きく儲けられない時代でした。
日本の金利全体が低金利になり、銀行も金利では稼げない時代に突入したのです。
後で考えると、なぜあの時代に金融機関は大きく経営資源を別の方向に向けることは出来なかったのか疑問を持ってしまいます。

それとともに、平成という時代はリスク管理が徹底しはじめた時代だったとも言えます。
初期の為替ディーラー時代は、ポジションを取っても各自ポジションがどの程度であり、リスク度が把握できない時代でした。
その後の金利ディーリングでは、0.01%変動でのリスク管理が導入される時代が始まりました。
技術革新がディーリングの自由度を奪い、大らかな時代の終焉であったと見ることも出来ます。
AIディーリング全盛の時代は次の時代にも引き継がれるのでしょう。

まとめ

平成の時代には、金融界に誇りと辛さを感じています。
バブルの時代を金融界で謳歌できたことは誇りと言えます。しかしその反動はあまりにも大きなものでした。

平成から令和の時代に変遷してゆくこの時代にも、金利は当分の間、低金利で推移、デフレ経済からの脱出を図ることになります。
為替(ドル/円)も大きく変動することのない時代が続くことになるでしょう。
低金利、安定した為替を前提に、平成から令和の投資戦略を考えたいと思います。


«記事作成ライター:水谷文雄»
国際金融市場に精通するInvestment Banker。
スイス銀行(現UBS銀行)にて20年余に亘り外国為替および金利・債券市場部門で活躍、外銀を知り尽くす国際金融のプロフェショナル。新興の外国銀行(中国信託商業銀行 )の東京支店開設準備に参画しディーリング・ルームの開設を手掛ける。プライベートではスペインとの関わりを深く持つ文化人でもあり、スペインと日本との文化・経済交流を夢見るロマンティスト。

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