ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。 今記事では、これまでさまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してきましたが、あと10日ほどで4月。4月といえばピカピカの1年生のかわいらしい姿を街のあちこちで見かける季節ともいえますので、13回目となる今回のテーマは「ランドセル」です。 鉛筆などの文房具と同じく、ランドセルも近代の学校制度に伴って広く使われるようになった一種の学用品です。小学校へ入学するとき、新しいランドセルに感じたワクワク感を覚えている方も多いことでしょう。では早速、ランドセルのお値段の変遷を大ざっぱに追ってみましょう。
軍隊の「背嚢」が、ランドセルの原型だった?
ランドセルは、日本が西洋式の軍隊制度を輸入する際に導入された、兵隊が装備品を背負って歩く「布袋(背嚢/はいのう)」が原型になったと言われています。背嚢を意味するオランダ語「rasel」がなまって日本語化したようです。
明治10(1877)年に開校した学習院は、生徒が馬や馬車で通学することを禁止するとともに、軍用の背嚢に学用品類を入れて通学させることにしました。これが学校用ランドセルの始まりでしたが、当時はまだ、ランドセルといっても布製で現在のリュックサックのようなものでした。
現在よく見る箱型のランドセルは、明治20(1887)年に皇太子時代の大正天皇が学習院入学の際、伊藤博文首相が天皇の通学用として特注の背嚢を献上したのが始まりとされています。その格好よさが評判となり、一般用としても発売されるようになりました。
当初は、教科書などは学校に置いたままで通学していましたが、近代学校制度における科目の細分化とともに教科書などの多くの学用品を使うようになり、あわせて宿題などが出されたことで、学用品を携帯して登下校するようになったことも、ランドセルが普及した原因の一つになりました。
大正3(1914)年のランドセルのお値段は1円5銭。同時期のそばが一杯5~6銭であったことを考えると、現在の価値で6000~7000円、あるいは1万円を超える程度でしょうか。当初のランドセルのお値段は今ほど機能的ではなかったにせよ、現在と比較してあまり高くなかったことがうかがえます。
普及とともに、多様化するランドセル
ランドセルはこのようにして次第に普及していきましたが、当初の普及エリアは都市が中心であり、地方では太平洋戦争期まで風呂敷包みをもった子どもたちの姿が一般的でした。昭和16(1941)年のお値段は9円8銭。現在の価格にして1万数千円であることから、都市の中流階級であれば手が届くものであったと考えられます。
しかしながら時代は太平洋戦争開戦の頃。戦争が始まったことによって皮革の確保が困難となり、ブリキ製のランドセルなども作られました。
その後はテレビの普及なども手伝って、昭和30年代以降になると全国各地でランドセルを背負った子どもの姿が見られるようになり、ランドセルは小学生のシンボルのようになりました。昭和30年代のランドセルのお値段は2500円。現在の2万~3万円程度と思われますが、当初は豚革だったものが高級な牛革で作られるようになり、年を追うごとに高級化していきます。
また、給食袋や体操着袋などの学用品が増えるにしたがってマチ幅が広くなり、仕切りやポケットなどがつくなど機能化が進んでいきますが、昭和40年代からは人工皮革で作られることも多くなりました。
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