ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。 「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較していきましょう。今回は、外食がテーマです。 日本人は比較的家庭内で食事をする傾向が強いようですが、そのせいか、外食には独特の「ハレ」の感覚が強いですね。子供の頃に「今日が外食だ」というとなんとなくワクワクした記憶をお持ちの方が多いのではないでしょうか。 日本人が特に好んで食べるそば、天ぷらなどを中心に主に昭和初期からの外食のお値段の変遷をざっとたどってみましょう。
そばがき、そば切り、二八そば……
そばは古代から栽培されていますが、古くは粒のまま粥(かゆ)にし、あるいは蕎麦粉をねっていわゆる「そばがき」のようにして食べたり、お好み焼きのようにして焼いて食べていたことが多かったようです。麺の形で食べるようになったのは、江戸時代初期から中期のこと言われています。これを特に「そば切り」と呼ぶこともあります。
江戸時代には「二八そば」といって、振り分けの荷を担いで歩く移動屋台の形で流行しました。歌舞伎などではこのそば屋が今でも登場します。この「二八」というのは、つなぎのうどんとそば粉の割合が2:8であったこと、または値段が16文であったことに由来するといいます。元禄時代に現在のような濃い口の汁につけて食べるもりそばのスタイルが定着したようです。
庶民の味方 ── もりそばの値段の今昔
16文はおおよそ現在の250円から300円程度と考えられますから、簡便なファストフードとして、庶民に愛されました。江戸時代の貨幣価値を換算する場合に、このそばの値段を基準にされることもあります。
昭和10年ごろのもりそばの価格は15銭、天ぷらそばが30銭程度であったという記録が残っています。戦後の昭和20年代にはもりそばは20円近くにはなっていたようです。東京・上野の池之端の藪蕎麦には昭和29年にもりそばが35円、天ぷらそばが120円という記録も残っています。タバコのピース10本入りが45円の時代です。
もりそばの値段が100円を超えたのは、昭和45年のこと。ピース10本入りは75円になっていました。
現在では、いわゆる立ち食いそば屋でもりそばが300円程度、一般のそば屋さんで500円程度でしょうか。ざるそばが一枚1000円近くする「高級」なそば屋さんもありますが、今も昔もそばは庶民のお腹を満たしてきたのです。
「天ぷら」はファストフード? 高級なごちそう?
天ぷらも江戸時代にはファストフードだった
江戸時代には天ぷらもまた屋台で出されるファストフードで、揚げたてを串に刺して立ち食いするものでした。江戸時代になってから油の生産量が増えたことも、天ぷらの普及に影響したようです。
明治の頃には銭湯の近くに出す屋台などもあったようで、移動販売のスナック感覚ですね。一串4文から6文。現在の感覚で60円から100円前後というところでしょうか。当初は立ち食いの店が多かったようです。
昭和15年頃、エビ、キス、ハゼ、穴子、いか、小柱などのタネを3つか4つつまんで80銭から1円ほどのお値段であったようです。昭和30年代に入ってお店のカウンターで食べるようになってからは、ぐっと値段も上がります。老舗の天ぷら屋さんでは6~7品のコースで800円ほどでした。ちなみに同年の天どんは一杯150円。
現在では天どんが数百円で食べられるファストフード感覚のチェーン店もありますし、お座敷で揚げたてを食べる高級な天ぷら屋さんもあります。都心の高級店のコースでは1万円から2万円するようです。
次のページ「ごちそう」のイメージが強い外食の一つ「うなぎ」
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
関連記事
2009.02.10
2015.01.26