今回のインタビューのお相手は、国民的漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の4代目編集長、後藤広喜さん。少年ジャンプの創刊時から編集者として携わっていた後藤さんは、1986年〜1993年の黄金期に編集長を務めた。 前編(https://www.insightnow.jp/article/10143)では、創刊当時の状況や編集者として駆け出しだったころの話を聞かせてくれた。 今回は、『The News Masters TOKYO』パーソナリティーのタケ小山が「週刊少年ジャンプ」のキャッチコピーが生まれた秘話などに迫った。
漫画戦国時代到来!
1970年代にその名の通り、漫画週刊誌首位に飛躍した「ジャンプ」。そのジャンプに追いつく勢いのあった他の漫画雑誌に、どのように対抗したのか。
「ジャンプの発行部数が200万部の頃、チャンピオンに肉薄された。チャンピオンは当時、『がきデカ』、『ドカベン』、『マカロニほうれん荘』、『ブラックジャック』など、強い漫画を揃えていた。
1980年代に入り、ジャンプの発行部数が300万部に到達した頃、今度は少年サンデーに、『タッチ』、『うる星やつら』などの、ジャンプにないラブコメディカラーで肉薄された。
ジャンプも迷走中の時期があり、従来の『血と汗と涙』の、いわゆる『熱血硬派』路線にラブコメディなどのさわやか系を入れたほうがいいのでは?という、スタッフの意見があった。
しかし、最終的な決断はジャンプの読者は『対決漫画』と『ギャグ漫画』が好きであり、この路線を崩したらダメだということ。自分達の得意な分野を貫いていこうということだった。
その時期に登場した漫画が、『北斗の拳』。
これがジャンプの漫画だ、という革命的な漫画だった。『北斗の拳』の連載が始まった年の暮れに、低迷していた部数を再び300万部に伸ばし、翌年に400万部を突破した。
こうして『北斗の拳』が、わずか1年で100万部も伸ばした立役者となった」と、後藤さんは詳しく説明してくれた。
一方で、読者アンケートで下位を低迷する漫画はどんどん連載終了させた。温情をかけてはいけない。
嫌な奴だと思われるくらいでないと雑誌運営はできない。
後藤さんの口から懐かしい漫画の名前が出る度に、タケは、少年のように目をキラキラさせていた。
「友情」「努力」「勝利」
ジャンプのキャッチコピーである「友情」「努力」「勝利」は、どうやって生まれたのか。
後藤さんは、「初代編集長の長野規(ながの・ただす)さんは、自分達が作っている雑誌の読者の頭の中からポケットの中身まで、全部を知らないとダメだという方針の持ち主だった。そういった意味合いもあり、毎週アンケートをとっていた。
そのアンケートで、読者に30ほどの単語の中から、『心温まる言葉』『大切だと思う言葉』『嬉しいと思う言葉』の3つを選んでもらった。
その結果が、それぞれ『友情』『努力』『勝利』だった」と、今やジャンプの代名詞とも言える揺るがないポリシーについて語ってくれた。
毎年、同じアンケートをとっていたが、結果は毎年、変わらなかったという。
また、『あなたの悩みは何ですか?』という意識調査で、『進路』『学校の成績』『おこづかい』『運動能力』の4つが、差がなく、毎年のように上位にランクインしていたそう。
「アンケート結果の『成績』や『運動能力』は、平等ではないからこそ、その才能を持ちたいと思っている証拠。決して諦めていないということ。そこから、ジャンプの読者は、健全で前向きだということがわかった。
そういう読者に向けて漫画を作っていく。そう考えると、キャッチフレーズとして『友情』『努力』『勝利』はわかりやすいし、編集方針にも合っている」と、後藤さんは、キャッチコピーの素晴らしい誕生秘話を聞かせてくれた。
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