純丘曜彰 教授博士の執筆記事一覧
2017.02.13
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/壬申の乱の後、渡来人たちは三河に入植し、信濃の養蚕絹糸を織るようになった。しかし、702年、東海一帯は台風の甚大な被害を受け、すでに譲位していたにもかか...
2016.12.31
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/アマテラスは、出雲神話にしても、山人(ヤマト)皇史にしても、崇拝の史実が無く、記紀の中で浮いている。これを持ち込んだのは、伊勢湾の海人(アマ)の影響を強...
2016.11.21
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/古墳は墓だ。だが、やたら天文にこだわっていた古代人にもかかわらず、その方位はばらばら。しかし、現地の様子をよく見ていくと、墓である以上に、防災水利施設と...
2016.11.05
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/大和政権は、奈良湖干拓拡大とともに疫病が蔓延し、全滅の危機に瀕した。これを須恵村の渡来人治水土木技術者が解決。これに気を良くした崇神天皇は、住吉港から羽...
2016.11.01
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/高天原のアマテラスがニニギ、ニギハヤヒを降臨させたのは、倭が貴重な不老不死の霊薬、丹の国で、その大鉱脈を大国主が見つけたから。その争奪のために有象無象が...
2016.10.22
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/江戸幕府は、御料、街道、寺社領などで、一国の大名領を寸断し、また、転封や相続で全国各地に分散させてしまった。このせいで、各大名は、幕府の徹底監視下におか...
2016.10.17
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/徳川は、三河土豪の連合軍にすぎなかった。ところが、信長によって武田家を失った甲州武士団は、家康を新たな後継者とすることによって秀吉と戦い、勝って江戸幕府...
2016.09.26
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/朱子学は、二程子から理気二元論を採ってくることによって、新法新学の一国斉民思想を退け、士大夫の必要性を説いた。しかし、理気二元論は、二程子の弟の程頤によ...
2016.09.18
純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学 哲学教授
/一国の下に万民は等しくあるべきであるという新学新法は、特権的なエリートである士大夫(地主商人官僚)の存在を根底から否定するものであった。このため、朱子は...