「人生のピークは常に未来にある」 元プロ野球選手 G.G.佐藤 大きなエラーを乗り越え、サラリーマンに転身した元プロ野球選手のセカンド・チャレンジ

2017.08.30

経営・マネジメント

「人生のピークは常に未来にある」 元プロ野球選手 G.G.佐藤 大きなエラーを乗り越え、サラリーマンに転身した元プロ野球選手のセカンド・チャレンジ

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かつてヒーロー・インタビューで「キモティー!」と叫び、大人から子どもまで、多くのファンに愛されたプロ野球選手のことを覚えているだろうか。

かつてヒーロー・インタビューで「キモティー!」と叫び、大人から子どもまで、多くのファンに愛されたプロ野球選手のことを覚えているだろうか。 「G.G.佐藤」こと佐藤隆彦さんは、大学野球時代はドラフト候補にもならなかったが、米国マイナーリーグへの挑戦、国内プロ野球の入団テストの受験など、さまざまな苦難を乗り越えながら、西武ライオンズでレギュラーポジションを獲得し、子どもの頃からの夢を実現させた人物だ。

2008年には、セ・パ両リーグを通じて最高得票数でオールスター戦に選ばれるほど、人気もプレーも好調だった佐藤さんだが、金メダルが期待されたその年の北京五輪で、準決勝、3位決定戦の大事な場面で、エラーを連発し、メダルを逃した「戦犯」として、日本中から大バッシングを受けた経験を持つ。

恐らく、彼ほど波乱万丈なプロ野球選手としての人生を送った人はいないだろう。現役を引退した今は、自分の才能を信じ、継続する力を与えてくれた父親への恩返しのために、父の会社に入り、現場を駆け回る日々を送っている。

「セカンド・チャレンジ」の先駆者たらんと、ユニフォームからスーツに着替えた佐藤さんの秘めたる思いに迫った。(聞き手:早川周作・経営コンサルタント/構成:株式会社フロア)


落ちこぼれ選手を奮い立たせた恩師の言葉

早川)これまで一生懸命に野球に打ち込んできた佐藤さんは、プロ野球選手となり、多くのファンから愛されました。まさに子どもの頃からの夢を実現されたわけですが、モットーや信条といったものはありますか?

G.G.佐藤 中学生の頃、私は野村沙知代さんがオーナーを務めるチームにいました。そのチームを卒業する時に、野村克也監督から「念ずれば花開く」という言葉を色紙に書いていただきました。野村監督は「念じ続ければ必ず人は花開く。なんで開かない人がいるかと言えば、それは諦めてしまったからだ」と言われました。僕はその時、「プロ野球選手になるのは簡単なんだな。だって、念じ続けるだけでいいんだから」と思ったんです(笑)。

実際にプロ野球選手になってから、何度も「辞めたい」と思った時がありましたが、「諦めた人間」になりたくなかった。その言葉があったから、プロの世界に踏みとどまり、続けてこられたように思います。

早川)佐藤さんは「G.G.佐藤」と呼ばれますが、なぜ「G.G」というのですか?どこから撮ってきたんですか?

G.G.佐藤 サッチー(野村沙知代)さんから、「お前ジジくさいな」と言われてまして(笑)、それで「ジージー」というあだ名がついたんです。米国で野球をする時に、息子のダン野村さんにエージェントをお願いしたのですが、彼が「あだ名が『ジージー』なんだから、G.G.佐藤でやっちゃいなよ」と言われまして、サッチーさんが名付け親、ダンさんがカッコよく変えてくれたということです。つまり、野村家で生まれた名前ですね。

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