/男色は戦国時代以上に江戸初期に爆発的に流行した。武功で出世する道は途絶え、その一方、体制整理で大量の無頼浪人や無役の下級武士が溢れていた。ここにおいては、美少年のうちから将軍や藩主の寵愛を受け、大役に抜擢されるしか、「武士」として生き残り、昇進出世する方法がなくなってしまったからだ。/
しかし、18世紀半ばを過ぎると、男色は、めっきり下火になる。武士同士の色恋沙汰のあまりのトラブルの多さに辟易として幕府や各藩が禁止令を出したからとも言われるが、そうではあるまい。小姓から成り上がった連中の大名として家格が安定し、老中などの職位相続が確固となり、主君寵愛を受けて一代で成り上がるという男色の花道がもはや閉ざされてしまったことの方が大きかっただろう。ただ、鹿児島や土佐、新選組では、下級武士や郷士たちの間に熱烈な男色の結束が生まれ、彼らこそがやがて幕藩体制を転覆させることになる。
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大 学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソ ン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。