/高度経済成長とともに、日本のサラリーマンの理想像として、「武士道」を語るビジネス書や自己啓発書が大量に粗製乱造されるところとなった。そのほとんどすべてが、自分の恣意的な思想を、時代劇の通俗イメージに仮託したものか、せいぜい新渡戸稲造『武士道』邦訳ないし極論の山本常朝『葉隠』を敷衍したものであって、史料的にも、文献学的にも、およそ学術考証に耐えるものではない。/
第三は、尊皇や国防にかかわる文献の一群である。文治は、軍事政権たる幕府の存在根拠を揺るがし、早くも18世紀半ばから日本の民族精神としての天皇制が再認識され始める。しかしながら、それと同時に、日本とは異なる周辺諸外国の脅威もまた視野に入ってくるところとなり、ただの理念論ではない、より実践的で現実的な、日本人に合った兵術練兵を考えなけばならなくなる。
井上リストは武士道だったのか
井上は、『叢書』を通じ、外来のキリスト教を取り込むまでもない、それどころか、キリスト教とは相いれない、高邁な倫理道徳としての日本本来固有の民族精神の存在を明らかにしようとした。だが、それは、武士に限定されない、日本人一般に根付いている正義の感覚のことであり、かならずしも武士とは関係が無かったのではないか。素行が言うように、せいぜい武士の役割は、平時にあって、その日本的な倫理を体現し、人々の模範となることにすぎまい。
もともと井上からしても、『教育勅語』の問題に発し、朱子学的な武士の道徳とキリスト教の親縁性を直観的に説く内村や新渡戸に対する批判として、学術的に厳密な文献批判に基づいて武士道の論を起こしたにすぎず、日本本来固有の民族精神を説くという井上の趣旨からすれば、「武士道」というより「日本人道」と呼ぶ方がふさわしいようにも思われる。(近代日本人が表層に載せるべきものがキリスト教であるべきか、天皇制であるべきか、という一点を除けば、内村や新渡戸は、井上ときわめて似た論理展開を行っており、彼らは、根底にある日本の民族精神を「大和魂」「平民道」と呼んでいる。彼らからすれば、キリスト教の根底にあるユダヤ教がユダヤ人の民族精神であったように、日本の民族精神もまた神の作り賜いた善なるもののひとつであって、その上にキリスト教を継ぐことは、むしろ当然、と考えている。一方、井上の反論は、この前近代日本の民族精神の中にすでに天皇制が根付いており、キリスト教とは相いれない、ということであろう。)
この問題設定のズレは、『叢書』に選出された文献の著者の立場からも影響している。老中本多忠籌や藩主徳川斉昭のような高位の人物もいないではないが、大半は市井の在野学者、せいぜい藩の側用人として藩主に進言諫止するのみで、実務実政に携わる「武士」ではない。武士ではない学者たちの論を、はたして「武士道」と呼ぶことができるのか。くわえて、このような在野学者の文献を学んだのは、高位の為政者ではなく、むしろ、側用人学者としての栄達を願う下級武士、なんとかして武士になりたいという在野郷士や富裕町民、さらには現状を批判し、体制を転覆して、新政を企図する浪人志士たちであったのではないか。
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。