日本の高齢者の実態は、老年的超越とは程遠く、悪い意味で「若い」、年齢に比べて「幼い」と感じてしまう。
高齢者に対して、死に関する学びを提供してはどうだろうか。冒頭のエピソードでは、その奥様が夫や子供達に迷いや混乱を与えず、尊厳ある死を迎えられたのは仏教という学びのおかげであったことが分かる。もちろん宗教以外にも、死を正面から取り上げ、死について深く考えるきっかけを与え、死に対する態度を確固たるものにできる内容であれば、様々なコンテンツがあってよい。死について語り合う場を提供するくらいでも、とっかかりとしては良いと思う。
終活や自分史、遺影を撮影するといった形式的なものではない。アルフォンス・デーケン上智大学名誉教授が、「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ。」とデス・エデュケーション(死の準備教育)を提唱しているが、そのような学びである。例えば、高齢者向けの教育バウチャー制度を作って、公共機関でもお寺でも民間の教育機関や文化センターなどでも利用できるようにしてはどうだろう。そうやって死をタブー視せず、死に向き合う人が増えていけば、高齢期の生き様や死に方は変わっていく。生涯現役社会の実現にも社会保障費の適正化にも寄与し、超高齢社会の活力につながっていくはずだ。
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高齢社会
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。