近所の怖いおじさんは、めっきり減りました。カミナリ親父という言葉も、死語になりつつあるのかもしれません。学校の先生も、ずいぶんと優しい先生が増えてきました。本屋さんでも「褒め方」の本が、「叱り方」の本よりも売れています。こんな時代にあって、学習塾の先生が生徒を叱ることは正しいことなのかどうか、考えてみました。
ニューヨークの地下鉄から学ぶべきこと
最近、顧問先の学習塾の先生から受けた相談に以下のようなものがありました。
「塾の教師である自分がナメられているように感じるほど、生徒の言葉遣いが悪いんです。学校の先生に対して話している内容も聞くに堪えないのですが、それを注意をしたほうが良いのか、それとも大目に見ていいのか、どうすればよいのか助言をください」というのです。
この若い先生は、どちらかと言えば厳しい雰囲気をもった先生なのですが、そんな彼でさえ自分が生徒になめられているように感じ、正面から子どもを叱ることに臆病になっているのです。
私は、こんなアドバイスをしました。
「それは、小さなことを見過ごしているか、あるいは見逃しているから、なめられるようになるんじゃないか」、と。
たとえば、先生の質問に対して、生徒がしっかりと真面目に対応しているのであれば、少しくらい言葉遣いが悪くても、特段注意をする必要はない。しかし、うわの空だったり、適当な返答だったり、あるいは悪意があったりした場合は、しっかり注意をしなければなりません。
言葉使いの小さな乱れだからと言って、大目に見ていると、どんどん小さな悪いことが蔓延し、最後は、指導が届かなってしまいます。
小さな悪を徹底的に撲滅したことでで、大きな悪を減少させた事例としては、ニューヨークの地下鉄の落書きが有名すね。
ニューヨークでは1980年代台後半から徹底的に地下鉄の落書きを消していきました。当初は落書きを減らすよりも、重大犯罪そのものを取り締まるべきという声が大きかったのですが、落書きを減らすことで、その数年後から殺人、暴行、強盗といった凶悪な犯罪の数が激減していったんですね。小さいルール破りを減らすことで、大きなルール破りを減らしていった例です。これが、教育現場でも重要なことなのです。
厳しいけれど優しい教師になろう!
教室の落書き、教室の破損、生徒の姿勢、生徒の言葉遣い、生徒の遅刻、生徒の宿題忘れ、こういう小さなことを徹底的に注意していくことです。
塾の教師は、人気商売であることは確かですが、その人気を支えるのは、生徒からの人気取りではなく実はしっかりした指導なのです。その指導を効果的に行う下地(=規律)を作る教師が、やはり人気が高いのです。
生徒に迎合しても、最初は寄ってきてくれますが、結局は、生徒から見切りをつけられるようになってしまうものなのです。
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2015.07.17
2009.10.31
合資会社 マネジメント・ブレイン・アソシエイツ 代表
1961年、神奈川県横浜市生まれ。 現在、合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表。 NPO法人 ピースコミュニケーション研究所理事長。