/吉良家は、徳川家にとって本来の主君で、先任上位の将軍家。そんな事情も知らず、刃を抜いた浅野の若殿のせいで、あの事件は起きた。忘年会などでも、裏の本当の深い事情も知らぬことに口を挟むと、ろくなことにならない。/
吉良の養子(18歳)は、邸内にいたが、気絶した、とかで、生き延びた。しかし、幕府は、これを、武家として「不届き」とし、吉良家はお取り潰し。以後、諏訪家の高島城に幽閉。06年、21歳で病死。一方、浅野家は500石の旗本に返り咲き、討入りを果たした大石家も、安芸の浅野本家で元通り1500石に。徳川家としては、いろいろあったにせよ、この事件は、長年ずっと目の上のたんこぶだった足利家を始末する良い口実となり、さてもさても、めでたしめでたし。
ところで、年末。忘年会だ。無礼講でハメを外すのもいいが、物事には過去の、深いいきさつというものがある。目の前のことだけを見れば、その通りなのだが、そんな明白なことは上司も会社も重々に承知。ただ、その通りにはできない、口にもできない事情があり、きみがそれを知らないだけ。酔っ払っても、放言で藪蛇はまずい。また、家格、社格というものもある。いくらいまカネがあっても、権勢を誇っていても、しょせん直近の成り上がりでは、どうにも身の及ばぬ世界がある。明治、江戸、室町のころから名を守り、事業を続けてきた者は、三代前もわからぬ庶民には想像もつかないほど広い人脈や支援者、そして本人自身の教養や技芸を誇っていたりする。こういう名家名門は、若造だろうと、老いぼれだろうと、一般の年功序列では計れない。それを知らずに、生意気だ、などと口にしただけで、きみの方が始末される。一方、名家名門の生まれでも、それ相応の才覚も無く、家の恥、名の穢れになるような行状では、年来の嫉妬や遺恨に、一族まるごと、お取り潰しのいい口実を与えるだけ。
いろいろ思うところはあっても、けして口に出さず、ただニコニコと笑って、いやいや今年もお世話になりました、来年も何卒よろしく、と、毒にも薬にもならない戯れ言に興じて、お開きまで場をつなげ。刃は、抜いたら、それで負け。たとえ抜くバカが出ても、柄で抑えていなし、まあまあ、もう酔ってしまって、難しいことはわからん、と、一力茶屋よろしく寝てしまえ。ひとときも気を緩めぬ心得とはそういうもの。
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2015.07.17
2009.10.31
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。