指導要領改訂をきっかけに、他の都道府県では次々と「絶対評価」が高校入試の内申点に採用されていった中、たった一つ「相対評価」を続けてきたのが大阪府である。その大阪で2016年度の公立高校入試から「絶対評価」へ切り替わることが決まった。しかし、この「絶対評価」を採用するにあたって、「全国学力テスト」を入試に活用するという発表がでて、文部科学省と大阪府で新たな論争が・・・!
これに懸念を示したのが文部科学省でした(2016年度入試は混乱を避けるため容認)。
全国学力テストを進める文部科学省が、なぜ大阪府の入試での活用に「待った!」をかけたか。
その理由を知るには全国学力テストの歴史を遡らなくてはなりません。
●過度の競争、序列化を生む危険を孕んだ全国学力テスト
全国学力テストは、全国的な学力把握などのために2007年からスタートしたもので、小学6年と中学3年生を対象にテストを実施し、8月末に都道府県別の調査結果を公表するのが通例となっています。
都道府県別の調査結果が公表されると、どの都道府県が1位だったとか、どの都道府県が最下位だったとかがニュースになるのはご存知でしょう。
ここ数年は、「秋田」「福井」「石川」」などが、上位の定番になっています。
もし、この全国学力調査が1980年代に文部省(現:文科省)が導入を言いだしたら、教育界を二分した激しい論争になっていたことでしょう。
と言うのも、1961年から1964年まで4年間実施された旧全国学力テストをめぐっては文部省と日教組の間で激しい対決が行われた歴史があるためです。
浦岸英雄氏の論文『全国学力テストはなぜ実施されたのか』によれば「家宅捜査160箇所、任意出頭2000人、逮捕61人、起訴15人、懲戒免職20人、停職63人、減給5252 人、戒告1189人に及ぶ刑事処分と行政処分が行われ、その後おおよそ20年にわたる裁判闘争」へ繋がる闘いがあったのです。
この旧全国学力テストをめぐっては司法の場でも争われ、最高裁大法廷判決で、
「中学校内の各クラス間、各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の比較が行われ、それがはねかえってこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由で創造的な教育活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置であるかどうかについては問題がありう」るとされました。
最高裁は、旧全国学力テストの存在や意義は認めつつも、「成績競争の風潮を生」むものとして、その実施・運用に警鐘をならしたわけです。
実際、1960年代には、本来学ぶべき授業に代わって旧全国学力テストで高得点をとるための授業が行われ、また学力が低い子どもには試験当日に欠席を強いるなど、学校や都道府県単位で上位へ入るための不正行為があったことが報告されています。
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2015.07.17
2009.10.31
合資会社 マネジメント・ブレイン・アソシエイツ 代表
1961年、神奈川県横浜市生まれ。 現在、合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表。 NPO法人 ピースコミュニケーション研究所理事長。