教育が大事、と口ばかりでは取り返しのつかない時代になりかかっています。
国を作るのに「一番大事なのは教育だ」と、言う人は多いものの、実行に移したり、自分が何らかの形で教育に携わったりする人はとても少ない、人任せ大国、現時点での日本。
人任せのツケが社会のリソースの低下を生み、「低下した人材」そのものが被害を被るだけではなく、社会で生活を営む成員全員が被害を受ける、そんな時代がもうすぐそこに来ています。
(というより、社会の内部が、気づかないところで蝕まれている、とでもいいましょうか)
…と嘆いても始まりませんので、社会全体が、「教育」にもっともっともっともっと目を向けて、そして「自分にできる範囲で」子ども達の教育に携われるような人が溢れる社会になるよう、この1年の始まりに…思う次第です。
繰り返し、このサイトで述べていることですが、「できない」子どもが増えたのは本人だけのせいじゃなく、家庭教育だけのせいでもなく、社会全体の問題。
当事者意識のない社会が表面化して子どもという鏡に映されている部分も大きいですから。
冒頭の友人の年賀状、中で略した部分があります。下記です。
一人で家に帰れない…いるよ。
高校生ですよ。高校生…。
今年も皆さん、頑張りましょうね!
努力した結果が、幸せとなって跳ね返る1年でありますように。
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<1月2日18時半加筆→自分へのメッセージも込めて>
本記事がライブドアニュースに掲載され、いろいろコメントをいただきました。コメントを頂戴するたびに勉強させていただいております。
中で、このコメント(ライブドアのコメントより引用)
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お年寄りの方々が出きることができなくなったので、単に危ないと言っているだけだと思います。九九は少々極端な例ですが、その分、コンピューターの使い方を覚えて文書作成できたり、英語でも文法より会話の方を熱心に勉強したり。単に教育をうける中で自身にとって、どこに必要性を感じるかが、時代とともに変化しているにすぎないと思います。その変化に対応しない教育者(特に詰め込み型で勉強していた方)に問題も多いと思われます。
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この意見には、極めて同意できる部分が多々あります。
「以前できたことができなくなった」という視点だけで「学力低下」とするのは好ましくないと思いますし、変化に対応できない教育者にも問題は多いと思っています(僕自身も教育従事者ですから、意見はいつもフラットに聞かなきゃ見なきゃ、と思いますし…)
一方で、「学ぶ必要性」がわかって、誰でも「学び」をはじめるわけではなく、自分自身が必要性を理解しない段階で「必要だ」と言われていることを学ぶ姿勢も大事だと思っています。
大好きな言葉の一つである<太>「守破離」太>の思想ですね。まずは教えを守って、それに疑念を感じたら、自ら破って離れていく、ということで。
僕にとって、上記の例で出したものは、その「守る」ラインにあります。
ただ、安易な「今どきのワカモノは~」的思想も好きではありませんので、どこかで「若者はすごいんだぜ!」的記事を書きたいですね。頑張って書こうっと。
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